沐浴のあれこれ 4 <どこでも沐浴>

青空トイレも平気な私ですが、20代前半までは食事をしている姿を人に見られるのも緊張するほど自意識過剰のところがありました。


そんな私が、どこでも沐浴できるようになりました。


<囲いがなくても平気>


東南アジアでの生活に慣れ人間関係が広がるにつれて、その国のいろいろな地域へと行く機会が増えました。


特にその国の友人ができたことで、友人の自宅に泊まらせてもらったり、辺境の村の生活を体験することになりました。


水道がある家では、トイレの例の水を溜める桶と手桶で体を洗いますから、トイレがお風呂場と兼用になっています。


水道がない家では、井戸や手動のポンプがある場所がお風呂場になります。
そう、外です。
囲いも何もない場所です。


手押しのポンプを汗をかきながら押して、すすぎのための水を準備しておきます。
服を着たまま、シャンプーをし体を洗います。
石鹸分を流したら、あの巻スカートのような布をかぶってその中で着替えます。


途上国の地方というのは物見高い人たちが多いので、「外国人がいる」というだけで人だかりができるほどです。
ましてや「外国人が井戸の周りで体を洗っている」となると老若男女が集まってくるのですが、そんな中で体をきれいにすることも平気になりました。


そのうちにだんだんと身のこなしが現地の人と似てくるようになると、自然と誰も見に来なくなりましたが。



<川で沐浴をする>


井戸やポンプがない村では、川や泉の水で体を洗います。


小学生の頃、親の仕事の関係で住んだところは遊ぶ場所といえば裏山でした。
学校が終わると森の中を駆けめぐり、雪解け水の流れる清流で沢蟹をとって遊ぶ野生児でした。
こんこんと湧き上がる泉も、その頃遊んだ「秘密基地」にありました。


ですから、東南アジアの辺境の村での川の沐浴にもあまり抵抗ありませんでした。
熱帯雨林の中に滔々と流れる川での沐浴は、開放感に満ちたものでした。


ふと上流に目をやると、水牛も同じ川にいました。
「まぁ、いいか。30mぐらい離れていれば・・・」と、勝手にルールを決めて。



東南アジアに赴任する時には、水を介しての感染症に十分注意していたつもりでしたが、主に経口感染に対してでした。


その後、エジプトのアスワン・ハイ・ダム建設と住血吸虫症の増加に代表されるような水を介した風土病、あるいは開発による変化を知り、あれも怖いもの知らずだったからできたのだとヒヤリとしました。
その国でも、住血吸虫症のある地域がありましたから。
その村の人たちがしていることだから大丈夫と、「心に言い聞かせて」いただけだったのだと思います。


そしてまた椎名誠氏の冒険記の中で、アマゾンの川には尿道などから人体に侵入するカンディルという魚がいることを読んだ時には、自然とは何と怖いものか、そして多様なのかと思いました。


自然の怖さを知るようになってから、というよりも知らないことがあまりに多いことに気づいてからは、「そこに水があれば飛び込みたくなる」私もようやく慎重になりました。



<一日にバケツ1杯の水で生活をする>


東南アジアでの医療支援活動のあと、短期間でしたがアフリカの某国にある難民キャンプに赴任しました。


飛行機で三十数時間。長旅の疲れよりは、その国に近づくにつれて緑が少なくなっていくことに心細さを感じました。


難民キャンプ内にあるスタッフハウスは、「その国に2本しかない川のひとつ」という川の側に建てられていました。


川幅は十メートルあるかないかです。
ちょうど乾季でしたから、水深は1mもないほどのわずかの水が流れているだけでした。
ワニが生息しているので、絶対に川には入らないように注意されました。
いえ、さすがの私も入りたいと思わない泥水でした。


スタッフハウスへはその川からポンプで水を引き上げて、手作りのろ過装置を通した水を生活用水として使いました。


一日にひとりが使える水はやや大きめのバケツに1杯まで、と決められていました。
それで体を洗い、洗濯もします。
ろ過をしてあるので、一見、川の水ほどは濁ってはいないのですが、白いTシャツは次第に茶色に染められていきました。


その国に住む人たちの生活を知る前には帰国したので、あの国で生まれた赤ちゃんたちはどんな沐浴をしてもらっているのだろうと気になっています。




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