新生児のあれこれ 29  <排泄の『自然』と『不自然』>

昨年2月28日から「新生児にとって『哺乳行動』とはなにか」という記事を書きました。
その中で、「哺乳行動とは、消化・吸収・排泄までの総合的な複雑なしくみ」ではないか、と書きました。


そしてその記事の<おまけ>に書いたおむつなし育児について、重複する部分がありますがもう少し考えてみようと思います。


「哺乳行動とは、消化・吸収・排泄までの総合的な複雑なしくみ」
私がそのように考えたきっかけが、1980年代から90年代にかけて東南アジアに住んていた時の体験でした。


ポンプで水を汲んで沐浴したり、どこでもトイレ
という村に居候をさせてもらいました。


そういう地域では、赤ちゃんだけでなく幼児ぐらいまでは下着をつけず、下半身はスッポンポンです。
オムツどころか幼児用の下着さえ使わない、というより購入するほどの経済的余裕がない地域でした。


新生児だと三角形の布をお尻にあてて結び、オムツがわりにしていました。


お母さんたちは赤ちゃんに母乳をあげていると、何かの拍子に赤ちゃんのお尻をパッと外へ向けるのです。
絶妙のタイミングで、赤ちゃんはうんちやおしっこを大地へむけてします。


時にはお母さんの服にもかかって汚れますが、さっと洗えばすぐに乾きます。


「わー、すごい」。
何であのタイミングがわかるのだろうと驚いている私が、反対にお母さん達からとても驚かれてしまいました。
「授乳をしていると、赤ちゃんのしぐさでうんちやおしっこのタイミングがわかることがなぜそんなに驚くことなの?日本ではどうしているの?」と。


「日本は寒い季節もあるから、赤ちゃんのお尻を丸出しにするわけにはいかないし・・・」ぐらいしか答えようがありませんでした。


でもこの体験がずっと心の中に残っていて、母乳でもミルクでも授乳中の赤ちゃんの様子をいつも観察し続けていたのだと思います。
いつ頃からかはわかりませんが、「あ、この顔はうんちだな」とか「あ、おしっこをするな」ということがだいたいわかるようになりました。
もちろん大はずれで、「やられた!」のこともありますが。


そのうちに「赤ちゃんは目が覚めてから『飲む』ことよりも『腸蠕動』を待っているのではないか」「少しだけ吸ったら、胃結腸反射がおきてウンチを待っているのではないか」と、それまで私たちが「授乳」とひとくくりで表現していた行動が、実は消化・吸収・排泄という総合的な行動であるのだということに気づいたのです。


・・・って、大人だって当たり前のことをしているのですけれどね。


赤ちゃんがぐずぐずしたり、おっぱいを吸おうとしない、いろいろな表現の中に、そういうおなかの動きを知らせようとしているのではないかと思うようになりました。


ですから「育児は母乳から始まる」かのように、吸わせること、飲ませることのテクニックに終始してはいけないのではないかと考えて、このブログも書いているわけです。



<「おむつなし育児」の出現>


1990年代に入って、日本人は東南アジアやアフリカなど、いわゆる開発途上国へも気軽に出かけるようになりました。
そこで私と同じような光景を目にして、やはり驚いた人たちがいたのだと思います。


2000年代に入って、「助産雑誌」にインドネシアでの様子を書いた記事があったことを記憶しています。


この記事を読んで、「こういう見方が広がれば、新生児期からもう少し『授乳』だけでない赤ちゃんの様子を観察することの大事さが広がるかもしれない」と期待したのでした。


ところが、その後「おむつなし育児」というあらぬ方向へ進んでしまいました。


畝山智香子先生のブログ「食品安全情報blog」に、「赤ちゃんの最新流行:おむつなし」について紹介されていました。

おむつをしない育児方法が流行。保護者達は車の陰で路上におしっこをさせるためのこつを教えあっている。"eliminate communication"という。
おむつを使わない(あるいは量が減る)ので環境に優しい。赤ちゃんの様子を気にする必要があるので親子の絆が強くなると主張。

出産についても「自然」といいつつ「不自然」なことが話題になりますが、新生児そして赤ちゃんの排泄についての「自然」と「不自然」についてしばらく考えてみようと思います。





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