下水道についてのあれこれ 2 <屎尿処理の歴史>

「おむつなし育児」の話題のはずが、なぜ突然下水道について書いているのかというと、新生児や赤ちゃんのうんちやおしっこも立派な屎尿(しにょう)だからです。


世の中、本当に地道に調べ考えている人たちで支えられているのだと思う研究会のサイトを見つけました。
「日本下水文研究会  分科会  屎尿・下水研究会」


屎尿処理の歴史>


ヒトはどのように排泄物を処理してきたのでしょうか。
その「下水道の歴史」を参考にさせてもらおうと思います。


まず「1.下水道の原風景」として、以下のように書かれています。

 野山を歩いていて尿意や便意を感じたらやむを得ず、その場で用を足し土をかけておくという行為を行うが、これは屎尿処分の原点である。

 縄文時代貝塚から糞石(大便が化石になったもの)が出土することがある。この時期では、生活の場に隣接した貝塚やごみ溜めをトイレ代わりに使っていた。自然の分解作用まかせであったが、環境汚染を引き起こすこともなかた。

そして「2.屎尿を水に流す」という段階になります。

 水に流すという意味では一種の水洗トイレである。このようなトイレは今日でも東南アジア地域で見ることができる。

川や海に流すのも「水洗トイレ」の一種ということです。ただし、未処理のままで。


奈良時代藤原京平安時代高野山にも、この未処理タイプの水洗トイレがあったのは驚きですね。
でも「道路溝や沈殿穴の掃除は雨の降った日の翌日に囚人たちを使って行った」とあります。想像しただけでも大変な刑罰です。


そして「3.移動式便器」というものもあります。
私が東南アジアに赴任して驚いたのが、このいわゆるおまるを大人が普通に使っていることでした。
地方行くとトイレが屋外の場合が多いので、主に夜間、寝室で排尿して朝になると処理をするのです。
でも都市部で、室内のトイレがあっても使用している人もいたのでまだ風習として残っていたのかもしれません。


次に、捨てていた屎尿を肥料として活用するために、「4.くみ取りトイレ」の時代になります。


「5.都市下水路」は日本では戦国時代にすでに作られていたようです。
ただし「雨水と家庭雑排水を排除する、終末に処理施設を持たない下水道システム」で、最終的には海に流されていたのでしょうか。


そして屎尿と雑排水を分けて処理するようになったことが書かれています。

神田下水(暗渠):コレラの蔓延ヨハネス・デ・レーケの指導、明治17〜18年


雨水の排除は在来の排水路を使い、屎尿は汲みとりのままとし、新たに埋設する暗渠には家庭排水と雨水の一部を排除させた。


屎尿をどのように処理してきたかを考えてみると、こちらの記事で書いたような東南アジアでのトイレ体験やおむつをしない乳幼児の排泄は、上記の1〜3あたりの処理方法になります。


それはただ単に屎尿処理施設が不備であるというのではなく、家の周辺に屎尿があっても許容できる環境条件だったとも言えるのかもしれないと思っています。


もう少し続きます。




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