「日本住血吸虫症」展

先日来、川で沐浴すること胎盤の寄生虫
などで住血吸虫について思い出す機会があったので、調べているうちにちょうど国立科学博物館企画展「日本はこうして日本住血吸虫症を克服したーミヤイリガイの発見から100年」が開かれることを知りました。


こういう偶然というのは、なんだか人生の伏線のようなちょっとドキドキするものがありますね。
まぁ、ただの偶然なのですが。
これは是非と思い、先週久しぶりに上野に出かけてきました。


まだ「下水道についてのあれこれ」は続くのですが、記憶が新鮮なうちに日本住血吸虫症について書こうと思います。


<日本住血吸虫症について>


企画展の説明には以下のように書かれています。

日本住血吸虫症は、寄生虫の一種である日本住血吸虫が引き起こす病気で、かつて日本では地方病として恐れられていました。日本は日本住血吸虫症を克服し、撲滅した世界で唯一の国です。この過程で、医師、研究者、行政、地方住民が一体となって取り組んだことなどを紹介し、日本の公衆衛生について考えます。


観に行かれない方には、wikipedia「地方病(日本住血吸虫症)」が企画展に負けないぐらい詳しく、わかりやすい説明だと思います。


江戸時代より前には、「漆を運んでいた船があやまって沼に漆桶を落としてしまった」ためにその村の川に入ると奇病になると信じられていたそうです。


ようやく1904(明治37)年に猫から寄生虫が発見されて日本住血虫と名づけられたそうですが、原因はわかってもその感染経路が経口ではなく経皮感染であるとわかるまでにまた5年ほどの研究が必要でした。


企画展ではビデオを上映していたのですが、その中に感染経路をみつけるための実験の様子もありました。
犬に虫卵を入れた水を飲ませた群と飲ませなかった群、そして木製の檻に入れて川に浸した群としなかった群、そうした比較試験を繰り返しながら、あるいはウィキペディアに書かれているように医師自らの人体実験などを経て、1909(明治43)年に感染経路がわかりました。


そして1913(大正2)年、九州帝国大学の宮入慶之助らが佐賀で淡水産巻貝が中間宿主となっていることを立証し、今年がその100年に当たるということで行われている企画展です。


原因がわかり、感染経路もわかり、副作用など問題が多いながらも治療法もでき始めていても、1995(平成7)年の日本住血吸虫症の終息宣言までにさらに八十数年、感染源対策、啓蒙活動、そしてミヤイリガイ撲滅運動に時間が必要でした。


<日本住血吸虫症の感染源対策>

・朝露踏んでも地方病

ミヤイリガイの生息濃厚地域では、草むらを素足で歩いただけで感染してしまう恐ろしさに、農民はなすすべもなかった。

特にセルカリアの活動が活発になる夏場の河川での水泳は厳しく禁止されたが、大正時代の郊外有病地の一般家庭では風呂はおろか上水道すらないのが当たり前であり、日本有数の酷暑地帯である甲府盆地の夏季では、子供たちの河川での行水を完全に制限することは難しかった。

日本住血吸虫は中間宿主となるのはミヤイリガイが唯一固種であるが、最終的な終宿主はヒトを含む哺乳類全般である。終宿主の糞便に含まれる虫卵から孵化した幼虫(ミラシジウム)が水中のミヤイリガイに接触することにより感染源となる。

野糞は厳禁とされ、特に子供たちに遵守するように学校で指導させた。

虫卵を刹滅させるために堆肥は一定期間貯留させたり、家畜にはオムツまでつけて糞便からの感染源を減らそうとしたようですが、野犬などまで排泄を管理できるわけではなく効果はあがらなかったようです。


中間宿主となるミヤイリガイを減らすための対策がとられました。
ひとつひとつの貝を箸でつかまえたり、野焼きや石灰をまくなどの人海作戦の様子もビデオにありました。


そしてミヤイリガイを繁殖させないための水路のコンクリート化と土地利用の転換により、ミヤイリガイを生息させない環境にすることで感染経路をようやく絶つことができたのです。


山梨は、春は桃源郷にいるかのような果樹の花の美しさ、夏から秋にかけてはぶどうや梨などの果物が実って本当に美しいところです。
その風景も、こうしてミヤイリガイ撲滅のための水田から果樹栽培への転換政策によるものだったことを知りました。


企画展は科学博物館の中でも小さな部屋で行われていました。
きっとあまり関心がなければ素通りされてしまうでしょうし、中に入っても5分ぐらいで見られるものかもしれません。


でも、このところ住血吸虫について思い出すことの多かった私は、ひきつけられるようにひとつひとつの資料を読みました。
ビデオも45分間立ちっぱなしはちょっとつらかったですが、見る価値がありました。


そして初めて寄生虫が発見されたネコが解剖されている様子も、ビデオには残っていました。
そのネコは、「姫」という飼い猫だったそうです。


ひとつの疾病を克服するまでに、気の遠くなるような時間が必要だということをまた改めて感じた企画展でした。