境界線のあれこれ 6 <自然と人工的な自然ー東南アジアの熱帯雨林>

1980年代半ばに東南アジアへ赴任する前までは、東南アジアの国々というのは熱帯雨林がうっそうと茂った土地だと思っていました。


ところが、車で走っても、あるいは国内線の飛行機から見る風景も、木がほとんどない山々が広がっていることに驚きました。


「みんな伐採して、日本へ売っちゃったからね」
「根こそぎ魚をとって、高級な魚は日本へ行くんだ。いらない魚は海に捨てているのだ」と漁師の人たちから言われたことと同じ言葉を、山村で聞くことになりました。


私は林業に関しては全くのど素人ですが、東南アジアから日本への木材輸出の歴史に関してわかりやすい論文がネット上に公開されていましたので、紹介します。

「東南アジアの木材産出地域における森林開発と木材輸出規制政策」
立花 敏著
『地域政策研究』(高崎経済大学地域政策学会) 第3巻、第1号、2000年7月


この論文を読むと木材輸出のピークが1970年代、その後、資源の枯渇と環境悪化を理由に輸出枠の規制や輸出禁止措置がとられたのが1980年代です。


私があの延々と裸山が続く風景を見たのは、東南アジア諸国にすれば日本などの安い木材の需要に応えて、外貨獲得のために一次産品を後先考えず売り、もう売る物もなくなった果ての時期だったのです。


熱帯雨林を伐採すること>


なぜ突然あの裸山が続く風景について書こうと思ったかというと、おむつ無し育児の記事へいただいたコメントに対して返事を書いている中で、住んでいた当時のことをいろいろと思い出したのでした。


森が無くなった山々は、雨が降ると上流では容易に鉄砲水となり、下流では大洪水の原因となります。
雨季になると、洪水で村ごとあっけなく流されて何百人の単位で死者が出ていました。
そういうニュースを目にしない日はないくらい、全国で洪水の被害がおきていました。
そして必ずと言ってよいほど、「1970年代から日本へ材木輸出のための森林伐採が原因」「今も違法な伐採が行われている」と報道されていました。


なぜ、無計画な伐採を行ったのか。
なぜ植林をしないのか。


現地で見聞きすると、単純な話ではないことが理解できました。


一番の原因は、植民地時代から続く貧困格差かもしれません。
日本人には想像がつかないほど、富裕層・地主と貧困層の格差があります。
当時、9割が貧困層と言われていました。


そして独裁政権下であり、富裕層は国軍と私兵をいくらでも動かせる力を持っていました。


熱帯雨林が伐採されて裸山になったところも、よく見ると焼き畑農業が細々と続けられていたり、一部はプランテーションになっています。
それは小作人として畑を借りて住まざるを得ない階層の人たちでした。
作物を作っても作っても、一生、借金と小作という立場から逃れられないのです。


貧困層の人たちは、食べて生きるために、伐採された山の上へ上へと畑を作れる場所を探して移り住んでいました。


苦労して畑を作っても、地主の気持ちが変化すれば、いとも簡単に私兵を使って追い払われてしまいます。時には、政府軍が「反政府ゲリラ掃討作戦」としてそういう人たちを土地に戻れなくさせることも行われていました。


「収穫の頃になると、掃討作戦があるから村を出て行けと言われる」
借りていたわずかの土地も、いつの間にかプランテーションや牧場の一部にされました。
輸出用の果物であったり、日本の端境期を埋めるための野菜であったり、あるいは洗剤その他の原料となるパームやしなどです。


また森林が伐採されたあとの山は、鉱物資源を採掘しやすくなります。


森や村を守ろうとした人たちは、反政府ゲリラと見なされて殺されました。
裸山のままにしておくことは、こうした人たちの隠れ場所をなくすことでもありました。


熱帯雨林の10年>


1990年代には私が住んでいた国でも、独裁政権が倒されたあと少しずつ民主化が進んでいました。
それでも地方に行けば行くほど、ゲリラ掃討作戦は相変わらず行われていて国内難民が出ていました。


専門的なことはよくわからないのですが、現地の人たちから聞いた話では熱帯雨林というのはとても脆弱で、わずか数センチほどの表土が風雨でなくなってしまうと森を元に戻すことは難しいということでした。


1990年代初めにある地域に行った時には、わずかな草しか生えていない広大な土地を見て、このまま砂漠化していくかのように思われました。


数年後に訪れたときは、まだあまり変化はありませんでした。


さらに数年後、初めてその地を訪れてからちょうど10年目に訪れた時、私は自分の目を疑いました。


緑が豊かな市街地になり、裸山だった地域も木々が育ち始めていたのです。


市街地は、住民が庭に植えた果樹などが成長したものでした。
数年ではまだ大きく感じなかったのに、10年もするとかなり大きくなり木陰を作り、果物を提供してくれます。


森は植林をしたわけではなく、少しずつ回復していったようです。


あと50年、そして100年したら、あの森は「自然な熱帯雨林」と思わせるほどに回復しているのかもしれません。
もちろん見た目の回復で、失ったものは多いとは思いますが。


それでも、「日本への材木輸出による伐採の影響」と非人道的な方法での経済活動という負の歴史は、誰かが伝えていかないと気づかれなくなるぐらい「自然な」姿に蘇っているかもしれません。




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