産後ケアとは何か 15 <昭和40年頃の母子保健の課題>

長野県と岩手県の母子保健についていくつかの資料を紹介してきました。


今回は、1965(昭和40年)頃の日本の母子保健の課題について書かれた資料を紹介しながら、当時の産後ケアとしての産後の休養がどのように取り上げられていたかをみていこうと思います。


<厚生白書(昭和39年度版)より>


1964(昭和39)年度版の厚生白書の「第8章 児童と家庭に対する福祉対策はどうなっているか」の中で「母子保健対策の現況」には以下のように書かれています。


「母子保健法」が成立する前年です。

(前略)しかしながら、児童福祉法の性格上、従来は児童の保健福祉対策に重点が置かれ、健全な児童の出生および育成の基盤ともなるべき母性保健についてはその対策が十分とはいえない現状にある。統計上も、妊産婦死亡はいぜん高率であり、周産期死亡もいまだかなりの高率を示している。しかも近年の産業構造の変化、人口移動の激化、農山漁村における夫人労働の過重、婦人勤労者の増加等母性の健康に重大な影響を及ぼす社会的要因は増大しつつあるように思われる。

「イ.妊産婦、乳幼児保健指導」の中では、妊産婦死因の第一位である妊娠中毒症に対し、「昭和39年度から、低所得層の妊産婦に対し、入院療養を促進するための公的援助が開始された」とあります。


「カ.母子健康センターの設置」では、以下のように書かれています。

母子健康センターは市町村における母子保健の向上と増進をはかるため、助産および妊産婦・乳幼児の保健指導、栄養指導を行う総合的母子保健施設として、地方中小都市および農山漁村等の医療機関に乏しい地域をおもな設置対象とし、33年度以降設置され、著しい成果をあげている。


<厚生白書(昭和40年度版)より>


それまで児童福祉法によって設置されていた母子健康センターが、母子保健法による施設になった1965(昭和40)年の厚生白書です。


母子健康センターの増加については以下のように書かれています。

33年に、主として農山漁村を対象とし、市町村における母子保健の増進を図る施設として、53か所の母子健康センターが設置され、その数は逐年増加し、41年3月末に至って405か所の多きを数えました。

保健婦活動の増加とともに、母子保健における保健指導の効果がみられるものの、地域格差が問題であったようです。


母子健康センターの入所措置によって、経済的理由で無介助分娩や自宅分娩を選ばざるを得なかった女性が、医療施設での助産を受けられるようになったことも書かれています。

なお、病院、産院、助産所などの施設分娩の状況は、30年前には総分娩数の17.8%が施設で分娩されたが、母子保健思想の普及、分娩施設の整備などが行われた結果、39年には79.2%と5倍以上の増加をみている。
また、保健上必要とするにもかかわらず、経済的理由によって入院助産を受けることができない者は児童福祉法により助産施設へ入所されることとなっているが、その入所措置についてみると、30年には5,137件が措置されていたが、39年度には9,966件とかなり増加している。

30年はまだ病院での入院助産しか受けられなかったものが、無医村などに設置された母子健康センターで入院措置が受けられるようになったことが背景だという意味だと思われます。


<厚生白書(昭和41年度版)>


「母子保健の現状」では、「わが国の母子保健の現状は、妊産婦死亡、周産期死亡、新生児死亡、地域差、幼児保健、障害児、不慮の事故などの問題がある」とまとめられています。



中央児童福祉審議会の資料より>


1964(昭和39)年12月に中央児童福祉審議会から出された「母子保健福祉政策の体系化と積極的な推進について」という資料が、ネット上で公開されています。


それを読むと、今まで紹介した長野や岩手の状況や厚生白書に書かれていることが総合的に見えてくるのではないかと思います。


「1)妊産婦保健の問題」(p.531)では、先進国でも日本の妊産婦死亡が高率であることが問題点であり、それに対して以下のように書かれています。

妊産婦死亡の主要原因をなす妊娠中毒症対策として、一般対策のほか、妊産婦に対する家庭訪問指導、入院療養を促進するための療養援護費の支給が行われている。これらの施策の充実をはかることはもとよりであるが、妊産婦の栄養強化、安全な分娩、妊産婦の十分な休養の確保等これら諸対策の確立は緊急の課題である。

また、地域格差についても「都市と農山漁村との地域格差及び所得階層による格差の是正が大きな課題」(p.533)、「市部における施設内分娩は78%であるのに対し、郡部においては43%にすぎず、無介助分娩は郡部に遥かに多い」(p.536)など書かれています。


この資料は、当時の母子保健対策や施設分娩が進められていった背景がよくわかるので興味深いものです。
またいつか、詳細について考えてみたいと思います。


<産後の休養が社会に認識された時代>


今まで紹介してきた資料の年代から考えると、現在70〜80代の女性がこの時期に影響を受けた世代といえます。
あるいは地域によっては60代ぐらいの女性でも、「産後にゆっくり休んでよい」とようやく思える時代に変わったことを実感した方がいらっしゃることでしょう。


出産を施設でして、産後1週間ぐらいは少なくとも自宅から離れた環境でゆっくりと休養をとる。
それが手に入るようになった時代は、やはりそう遠い昔ではないのだと思います。


私が助産師になった1980年代ころは、産後の入院期間が1週間程度であったところが多かったのではないかと思います(正確な資料がないのですが)。


ひとつは新生児も生後1週間ぐらいで黄疸が落ち着き、体重増加期に入っていく時期であることがあるのでしょう。


そして、1週間ぐらいはせめてゆっくりと休養をとれるようにという入院期間の設定がようやく社会に浸透した時代だったのかもしれないと、これらの資料を読んで感じました。


ところが、出産後ゆっくり休養を取れるようにと制度や施設の改善、あるいはその地域の文化を尊重しつつ啓蒙活動に長い時間を費やした結果、少なくとも数日は入院する時代にようやく入ったのですが、分娩施設の減少によって早期退院をせざるを得なくなり入院期間が短縮されるようになってしまったわけです。


であるならば、早期退院というのは決して「促進」すべきではないと私には思うのです。


もし、助産師の中できちんとこの時代の先達の苦労が学問的に研究されて伝えられていたならば、産後ケア施設の拡充と産後早期退院の促進が一緒に語られるはずはなかったことでしょう。




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