産後ケアと出稼ぎ 3  <母親の経済的要因、社会的要因>

1970年代、高度経済成長期の日本は少しでも豊かな生活を、と目指していた時代でした。
そのためには現金収入が必要になります。


こちらの記事で「若妻達は競うように誘致工場に終了しているため(生活が貧困なためではない)」「所得倍増、経済優先の志向が住民の心を占めており」とやや批判的に書かれていることを紹介しましたが、貧困から少し脱した人たちがもう少し豊かな生活を求めるのは当然のことだと思います。


「豊かな生活」には、子ども達を学校に行かせることも、テレビや車などを購入することも含まれることでしょう。


前回の記事で書いた東南アジアから海外出稼ぎに行く人たちも、この岩手県の状況に似ています。
貧困層ではなく、高卒あるいは大卒(教育制度が異なるので大卒でも20歳)であり、ブローカーに準備金を支払える層の人たちです。


<ダナ・ラファエル氏の人類学的調査>


「母親の英知  母乳哺育の医療人類学」(ダナ・ラファエル氏、小林登氏監訳、医学書院、1991年)に、西インド諸島セント・キッツ島でのフィールドワークが書かれています。


これは1976年にダナ・ラファエル氏が、仲間の人類学者とともに行った母乳哺育に関する調査のひとつです。


母乳哺育はどのように行われてきたかの中で紹介したように、当初「第三世界における乳児死亡の増加は、全世界的な西欧化に伴う粉ミルクの導入によって、母親が授乳しなくなってきたことに起因する」あるいは「多国籍企業製品の侵略的販売が元凶」と考えていたものが、「私達が調べた限り、母乳で育てる率は減っていない」「減っている地域があるとすれば、母親の人数ではなく、母乳を与える期間が短くなってきた」という答えに変わるきっかけになった調査でした。


そしてダナ・ラファエル氏はこう書いています。

さらに驚くべき発見は、欧米の乳児栄養の専門家たちが、概して発展途上国の女性たち(そして世界中の貧しい女性たち)がどのように乳児を養い育てているかを知らないということでした。


ダナ・ラファエル氏はまず自らも「知らなかった」ことを認め、客観的で事実を説明していく手法でいくつかの地域の報告書をまとめました。


そのうちのひとつ、西インド諸島のセント・キッツ島の報告は、海外出稼ぎや誘致工場へ働きに行く女性たちと似た状況です。


<セント・キッツ島の報告>


セント・キッツ島の調査は1976年に行われたものですが、途上国の変化というのはとてもゆっくりであり、現代でも同じような状況の地域がたくさんあることでしょう。

西インド諸島セント・キッツ島のロッキーポイント村では、1976年に調査した際、未婚の母が大半を占めていました。彼女たちはたいがいまだ10代で非常に貧しいため、家で赤ちゃんの世話だけをしているわけにはいきません。出産後、相談したり、手伝って欲しいと思っても、親戚が近くにいなければ何でも一人でやらざるをえません。村には働き口がないけれど他の島やアメリカ合衆国には仕事があるといって、村人はどんどん外へでてしまい、その結果、村にいる親戚の数も次第に減ってきたのです。

未婚の母が多い理由は、男性も十分に家族を養うだけの収入がないためのようです。

しかし、結婚していようがしていまいが、いったん男が父親になると子どもを養うのは当然とされ、実際法律上もそうなっています。とは言え、父親がくれるお金は最低の額と言って間違いありません。

この地域での母乳哺育期間は2〜3ヶ月と、ダナ・ラファエル氏らの調査の中では一番短いものでした。

セント・キッツ島では、母乳だけの期間は生後2週間ぐらいのものです。ジョイスの子どもの場合も例外ではありません。生まれるとやがて母乳と並行して、ミルクも哺乳瓶に入れて飲ませていました。濃縮ミルクを沸騰したお湯で溶き魔法瓶に入れてとっておくのです。

この場合のミルクというのは、乳児用の調整乳ではなく無糖練乳という濃縮ミルクのことです。途上国では缶入りのこのミルクが広く流通して使われています。

ロッキー・ポイントでは母親は退院するとすぐにミルクを飲ませ始め、朝夕母乳で、昼間はミルクというのが一般的です。ミルクは高く、混合食が合理的なのです。

女達は皆定職はないけれど不定期に働いていて、いざという時さっと対応して働きに出られるよう日頃から準備しておかねばならないのです。ということは、すなわち哺乳びんを与えられてもぐずらない赤ちゃんに育てておくことが大切なのです。

若い母親の働きは子どもを養うだけでなく、その母親のまだ小さい子どもたち、時には失業中の兄弟まで養うことがあります。そんな若い母親が一家全部の食料を得なければならないとなると、時として産後わずか数ヶ月で島の外に移住して働かねばならないということもあり、そうすると子どもは彼女の母や祖母に預けることになります。もちろんそのときは赤ちゃんはミルクで育てることになります。

世界では現在もまだこういう状況がたくさんある、というよりむしろこのような状況の母親の方が多いということを忘れてはいけないのではないかと思います。


赤ちゃんの授乳に十分な時間をとれない状況は、当然、母親自身が身体的にも精神的にも十分な休養もとれないということです。


そして日本のお母さんたちもまた、状況は違っても、経済的には豊かであっても、家事と育児を一人で抱え、だれも変わってくれる人がいない不安の中でなんとかやりくりしているのだと思います。


産後ケアって、何でしょうか。