前回に引き続き、「産婦人科の実際」2012年1月号(金原出版)の「特集 緊急有事における産婦人科体制づくり」の中から、「緊急有事における産婦人科救急への対応 −岩手県で行われたことー」を参考にしたいと思います。
この報告は岩手医科大学医学部産婦人科の福島明宗教授がかかれたものですが、その中で「震災直後にとられた対策」として震災直後の様子が書かれています。
周産期部門以外に高度救命救急センター、循環器医療センターなどの三次医療部門を要する岩手医科大学付属病院は、県広域災害医療の最後の要としての機能をこのような厳しい条件下においても果たさなければならなかった。われわれ総合周産期母子医療センターは直ちに以下の対策を実行した。
1.産婦人科医会との連携
総合周産期母子医療センターと岩手県産婦人科医会は震災後直ちに各開業施設と地域周産期センター間での診療連携体制を強化することとした。なおこの時点では電話が使用できないため医会長とは数回にわたり直接面談で話し合いを行った。広域大規模停電により、自家発電を持たない多くの有床診療所では分娩の取扱いが困難となった。そこでこれまで構築していた各医療圏内における一次・二次医療施設間の連携体制の維持を、連絡の取れる内陸医療施設数や医師数は限られている医療過疎地区ではあるが、逆にお互いの顔の見える、風通しのよい医療を行う体制が取られるようになっていた。
岩手県の周産期医療体制には以下の病院・診療所数があり、それで5医療圏を作っているようです。
総合周産期母子医療センター・・・岩手医科大学付属病院
地域周産期母子医療センター・・・8施設
周産期母子医療センター協力病院・・・2施設
分娩可能診療所・・・23施設
残念ながら、有床診療所が実際にどれだけ分娩に対応したのか、どのように対応したのか、あるいはどれだけ基幹病院へ転院・分娩となったのか具体的なことは書かれていませんでした。
そこが知りたかったのですが。
でもそれはともかく、あの大震災のあとに滞りなく周産期医療が行われたことにただただ頭が下がる思いです。
<震災直後の母体搬送>
岩手県での震災直後の母体搬送について以下のように書かれています。
2)緊急母体搬送
沿岸被災地から内陸部医療機関への緊急母体搬送総数は、震災翌日(当日は0件)からの1週間で29件あった。
そのうち岩手医科大学付属病院では、3月14日から18日までの間に母体搬送後の帝王切開が5件もあり、特に3月14日はそのうち3件の帝王切開があったようです。
岩手医科大学の被災直後の状況について以下のように書かれています。
通常の午後診療が行われていた14時46分、岩手医科大学付属病院がある盛岡市は突如震度5強の大地震およびその後27時間にもおよぶ大規模停電に見舞われた。
幸いにも病院建物の倒壊被害や人的被害は皆無であったが、重油をはじめとする石油製品の安定供給がないなかでの自家発電による病院全体の電力供給および暖房の確保、外部との通信手段の途絶は病院機能に大きな制限を加えた。
産婦人科病棟では、2009年の岩手・宮城内陸地震を教訓にした訓練を行っていたことが幸いし、医療現場は大きな混乱や動揺を生じることなく対応できたようです。
病院全体の省エネ対策に際しては、特に新生児を含めた入院患者への最大限の配慮を行い、部屋ごとの暖房機具設置を行うことでの室温調整に努めたが、やはり通常に比べて低温にならざるをえなかった。
震災直後の混乱状況に加えて、総合周産期医療センターとして緊急搬送受け入れのために入院患者のベッド移動などをして部屋の確保、あるいは手術室との調整などの対応を行っています。
特に今回のような規模の大震災では帝王切開などの緊急手術の依頼が多発する事態を想定し、中央手術部には優先的な使用許可をお願いした。中央手術部では、病院全体のエネルギー不足により手術制限の方針としたにもかかわらずこの件に関しては直ちに快諾いただくことができた。
このような現場の適切な対応によって、あの大震災からわずか3日後には緊急帝王切開を3件も受けいれていたことは、本当にすごいことだと思います。
<改善を要する点もある>
報告の中で、今後改善を要する点として「DMAT」(災害派遣医療チーム)への地元周産期専門医師の参加があげられていました。
上記の緊急母体搬送29例について、「総合周産期医療センターのコーディネーターが調整した一覧」(12件)と「DMATにより搬送采配されたと思われる母体搬送一覧」(19件)に分けて詳細が報告されています。
地元の周産期事情に精通している医師が参加していないDMATの場合、「災害医療の観点だけで特定の医療機関への振り分けが行われた」ために、その後別施設への再搬送を行う必要のあるケースが出てしまったようです。
周産期医療の場合は平時から「ハイリスクは大きな病院へ」というトリアージだけではだめで、妊娠週数やリスクに見合った搬送先を探す必要があります。
例えば同じ早産の可能性でも、妊娠34週までの産婦さんはNICUのある病院へ、妊娠35週であればNICUがなくても新生児の入院に対応できる総合病院へ搬送するなど適切に搬送先をコーディネートすることで、限られた周産期医療資源を活用し一人でも多くの母児を適切な施設で救命できるようにすることが重要です。
DMATに参加された方々の尽力も本当にすばらしいことだったことでしょう。
ただ、その中から「うまくいかなかった」事実を認めることによって、そこから得たものはきっと次に教訓としていかされることでしょう。
これは常に搬送元になる産科クリニックに勤務する私達にも、努力が求められていることです。
災害時に、電気や通信網が途絶えたときの搬送をどうするか。
もうすこしあの大震災での失敗談や困難だったという事実を知りたいものです。
そこから学ぶことによって、本当に役にたつマニュアルを作成できるといえるでしょう。
「災害時の分娩施設での対応を考える」まとめはこちら。