ラタンの家具

ブログを書き始めて1年半が過ぎました。
三日坊主どころか、先日も気づいたら90日以上も連続更新していて自分で驚いています。


だいたいは通勤中の電車の中で、ふとテーマが浮かんできます。
あるいは朝目が覚めた時に、書きたいことが浮かんできます。


最初の頃はせっかくふと浮かんだアイデアも歩き始めたら忘れてしまうことが多く、思いついたらそのつどiPhoneに書き留めるようにしていました。
最近は書き留めなくてもけっこう思い出せるようになしました。
ブログを書くのは、記憶力維持に役立っているのかもしれません。


今日は、とりとめもない思い出話です。


先日乗った私鉄の車輌が広告貸切電車というそうですが、全てがIKEAの広告でした。


1951年の創業以来のポスターか広告誌の表紙かわからないのですが、各年のものが紹介されていました。


私自身はまだIKEAの家具を購入したことはないのですが、その車内広告の1970年代の写真をみて、私が高校生の頃、家にあった「ミセス」やインテリアの雑誌で北欧調の家具や布、編み物の雰囲気にとてもあこがれを持っていたことを思い出しました。


当時、紹介されていたのもIKEAだったのでしょうか。


今も尚、古さを感じさせない家具やインテリアの写真が、しばらくの間、電車に乗っていることを忘れてしまうぐらい回想の世界へと夢中にさせてくれました。


実家はインテリア雑誌がある家でしたが、家の中はごく普通の日本の家具でした。
こんなにおしゃれな雑誌を見るぐらいだから、もっとセンスのいいインテリアを買ってくれればいいのにと不満でした。


働き出して、自分のお金で自分の部屋を作れるようになって、カーテンや小さな家具にどことなくあの北欧調の色彩や雰囲気を取り入れていきました。
でも現実の世界で、センスの良い部屋にするというのは難しいものだとも感じました。


働き出して4年目に、海外医療協力で東南アジアに行きました。
まだ日本ではエスニックブームが起こる前でしたから、その国で見つけた竹やラタンで作られた家具や小物の、あの北欧調の人工的ともいえるインテリアとは対照的な自然な美しさに魅せられてしまいました。


2年間の任期を終えて帰国する時には、少し大きな荷物がありました。


オーダーメイドで作った小さなラタンのサイドテーブルと、その国の友人だった画家が描いてくれたにわとりが鳴いている絵でした。


それ以降、私の部屋は常にあの東南アジアで暮らしていた時のように、籐のサイドテーブルとにわとりの絵を中心にしたものが原型になっています。


そこだけは、約30年前から時間が止まったような空間です。


基本的には物を増やさないようにしていましたが、帰国したあとに購入したものがありました。
ラタンの椅子でした。
「女王の椅子」という名前がついていました。


その椅子を購入して数年後に、ラタンを採る人について歩いて熱帯雨林の中を案内してもらったことがありました。
地面を這い木にからみついて育っていくラタンですが、その人は一瞬にして探し当て、しかも商品価値のありそうなラタンを見極めて切っていきました。
うっそうとした森の中で、身軽に木に移る姿にほれぼれとしてしまいました。


ラタンの家具を見ると、あの日のことが思い浮かんできます。


その後、ひょんなことから大正時代のアンティークな和ダンスを購入することになりました。


買うまではあのラタンのサイドテーブルと椅子に合うだろうかと何度も悩みましたが、すんなりとおさまってしまいました。


そして私の部屋は、相変わらずあの東南アジアで働いていた時と同じ配置と雰囲気を保っています。



それはあこがれていた北欧調の部屋とは全く違ってしまったのですが、でも案外鮮やかな色調の北欧のテキストも合うかもしれません。


同じ電車に乗って、あのIKEAの広告を見ていた方々にもさまざまな思い出があるのでしょうね。