災害時の分娩施設での対応を考える 10 <福島から転院されてきた方の受け入れ>

2011年3月12日に起きた福島第一原子力発電所での水素爆発後、南関東にある勤務先ではいくつかのことを考えて対応しなければなりませんでした。


まず、ひとつは福島で出産する予定だった妊産婦さんの中で、この南関東で出産するために転院される方が増えてくるだろうという予測です。


南関東に住んでいて出産は実家がある福島で考えていたけれど里帰り分娩を取りやめた方と、福島あるいは近隣県に住んでいてその地域で分娩予定だったけれどこちらの実家や親戚の家に移ってきて出産することにした方です。


私の勤務先でも、しばらくは月に2〜3人ぐらいそういう方が転院されてきました。


受け入れには余裕があったのですが、混乱状態の中での転院ですから前医からの情報提供が十分でないことがあります。リスクを見逃さないように対応することが求められました。


そして、精神的な支えに少しでもなれるような受け入れ方、それが最も難しいものだったのかもしれません。


ネット上では、「放射性物質に触れた」方々への信じられないような誤解や警戒のような発言がたくさん飛び交っていました。
「福島から来た」というだけで、拒絶されるような雰囲気がありました。


そのような誤解と混乱を実際の生活で、どの程度の方たちが経験されたのかはよくわかりません。


ただ、本当ならあの原発事故に遭遇して最も不安が強い方たちであり、正確な知識と情報で適切にその不安に対応されることと精神的なサポートが最も求められている方たちでした。


あれだけの大規模でいくつもの災害が重複した状況で精神的に追い詰められていた場合、そこから避難して少しだけ気持ちを休められる場に移ったとき、「大変でしたね」という一言をかけられればふと緊張が解けていろいろな思いがあふれ出てくるのではないかと思っていました。


でも、福島から転院してこられた方に「大変でしたね」「ここでゆっくりしてくださいね」と声をかけても、反対に表情が硬くなり、ふと沈黙と距離を感じることがほとんどでした。
いえ、私の思い過ごしの部分もあるかもしれませんが。


誇張でもなく、本当に誰一人、つらかったことを話そうとされる方がいらっしゃいませんでした。


まだ緊張が解けるには時間が必要ということもあったのだと思いますが、「福島から来た」ことに触れられたくないという思いもあったのでしょうか。



あの震災後、どれだけの妊産婦さんが原発事故を理由に分娩施設を転院されたのでしょうか。


転院に伴う困難、精神的なものも含めて、どのようなことに悩み、どのように対応していかれたのでしょうか。


どのような情報が必要で、どのような説明が求められていたのでしょうか。



言葉にできるまでには時間も必要なことがありますが、それでも時間がたってしまう前に、あの当事者おひとりおひとりが直面した事実を記録に残して、原発事故が起きた時に備えての教訓を導き出す必要があるのではないでしょうか。






「災害時の分娩施設での対応を考える」まとめはこちら