「子どもを守るために」−ダイオキシンと放射線被ばくー

1996年のダイオキシン問題と2011年以降の放射線被ばく問題は、それぞれ「子どもを守るために」という点が前面に出された健康問題でした。


ちょうど15年の年月が経っていますが、ダイオキシンの頃と現在を比べてもいくつかの点で違いがあったように思います。


歴史に「もし」を考えても仕方がないのですが、もし1990年代に今回の原発事故が起きたとしたら、もう少し「子どもを守るために」という言動が違っていたかもしれません。


<20代の出産から30代の出産へ>


自分自身を振り返ると、20代と30代では目の前の問題解決方法もかなり違ったように思います。


20代の頃は「えいっ」と荒波の中に飛び出て行き、高波にあったらあったときで乗り越えるという感じでした。


30代になるとあらかじめ天気予報を確認し、その海のさまざまな条件を確認し、用意周到に目的地に到達できるように準備する・・・そんな感じでしょうか。


20代でもそれなりに準備はしているつもりだったのですが、30代になって振り返ってみるとけっこう無謀だったなと感じるようなことをしていました。


ダイオキシン問題の頃はこちらの記事でも紹介したように、8割以上20代での出産、育児の時代でした。


単純に一般化することはできないのですが、20代というのは無謀なこともあるけれど、こうした社会問題に直面した時には理論的に考えるよりもなんとかなるという姿勢が、ダイオキシン問題の混乱では幸いしたのではないかと思うことがあります。


そして放射線被ばくの問題がおきた2011年では、地域や施設によっては20代と30代の出産の割合が逆転しました。



日頃、20代と30代・40代の産婦さんに接するときに、説明の方法を変える必要があることを感じています。・・・微妙に変える、という感じですが。


20代のお母さんたちから赤ちゃんや授乳について質問されると、あまり細かい説明は期待していなくて「大丈夫」の一言の方が有効なことがしばしばあります。


たとえば「赤ちゃんが黄色いですよね」と聞かれたときに、新生児黄疸についてとか、どのようなレベルだと光線療法が必要で・・・といった話をし始めても20代のお母さんたちはほとんど右耳から左耳に抜けていく感じです。


ところが30代・40代のお母さんたちは「大丈夫」の一言では納得されなくて、どうして大丈夫なのかまでの説明が必要になることが多いと感じています。


同じ「子どもを守るために」という言葉も、子どもを育てている年代が大きく変化した。


これがまず、ひとつ目の違いです。


<情報の広がり方>



十数年前、情報を得る手段はまだテレビや新聞からという人が多かったのではないかと思います。
私も当時、勤務先ではパソコンを使っていましたが、自宅でも使うようになったのはもう少し後でした。


インターネットを使うことで、情報の量も早さも格段に変わりました。


ダイオキシン問題の時は、新聞やテレビから入る情報を少しずつ自分の中で消化して理解する時間がありました。
産婦人科学会などが出す医学的な見解もゆっくりだったと、あいまいですが記憶しています。


今回の放射線被ばくに関しては、直後からダイオキシン問題の時代と比較にならないほどの情報やさまざまな解釈がネットを通じて広がりました。


ダイオキシン問題の時には不安を表現するのにも新聞の投書欄やテレビのインタビューぐらいでしたから、限られた人の不安しか伝わることがありませんでした。
もちろん皆不安はあったのですが、それを社会に向けて表現せずに静観するしかありませんでした。


ところが十数年後には、人はtwitterで瞬時に自分の感情を社会に向けて発する手段を手に入れました。


twitterはいろいろな考え方や感じ方があることを知るのには有益なこともあると思います。


ところが、ふだんは周囲の友人2〜3人に聞いてもらって済んでいたような感情がそのまま何百人、何千人という人に向けて伝えることになります。


「しゃべってすっきりした」と翌日には忘れてしまうような感情だったはずなのに、twitterを使うことで社会を大きく動かしてしまうような危険性を感じることも多々ありました。


そしてふだんなら友人が「ふーん」と相槌を打つだけだったものが、知らない人からの「私もそう思う」という反響が、感情をさらに後押ししていまうのではないかと思います。


自分の直感(感情)で判断したことが第三者から賛同を得られれば、自分の考え方は正しいと思いやすいことでしょう。
まだこの時点ではあくまでも「感じた」だけであって、「考え」というほどのものではなくても。


ダイオキシン問題の時には、ひとりひとりがもう少し自分の感情に向き合い、考える時間があったことが、ふたつめの違いです。


<歴史に「もし」はないけれど>


1990年代に今回の放射線被ばくの問題が起きていたら、つまり20代の子育て世代が大半でインターネットという情報網がまだそれほどの広がりをもっていなかったら・・・。


おそらく、不安ながらも「健康にただちに被害はない」というメッセージを信じて静観する人がほとんどではなかったかと思えるのです。


南関東放射線量を見て「不安だから移住したい」と周囲の人に話しても、twitterで得られるほどの賛同はなく、実行に移すことも少なかったかもしれません。


なにより20代の時期に、周囲のお母さん達へ影響を与えるほどのリーダーシップをとれる人は少ないことでしょう。


でも30代・40代のお母さん達と言うのは、非常に勉強家でアクティブです。
「子どもたちを守る必要がある」と考えれば徹底的に情報を集め、周囲の人たちを巻き込む能力がある世代です。


の中で、以下のようにありました。

一方、流言を受け取っても、批判能力の高い人の場合には、他の情報源にあたってチェックするなどの情報確認行動をとることにより、真偽を見分け、流言の伝播を食いとめることができる。

これは諸刃の剣だともいえるかもしれません。