災害時の分娩施設での対応を考える 16 <ヨウ素剤予防投与について>

2011年3月11日の福島原子力発電所の事故直後から、放射線被曝に対するヨウ素の予防投与に関するさまざまな情報が流れました。


正直なところ、私自身も放射線被曝に対してヨウ素剤を予防投与するという漠然とした記憶がある程度だったので、どのレベルの被曝で、どの地域の住民に、どれだけ投与するのか何も知識がありませんでした。


そのうちに、ネット上でも「イソジンを飲んではいけない」「海藻を食べても効果がない」あるいは「今回は予防投与は必要になる住民はいない」などの情報が入り始めました。
事故後2〜3日を過ぎたころだったと思います。


この安定ヨウ素剤予防服用に関して、一昨日紹介した周産期関連の情報の中ではどのように伝えられているか見てみようと思います。


<事故直後からの周産期関連の情報>


日本産婦人科学会が最初に一般市民向けのは、2011年3月15日に出された「福島原子力発電所(福島原発)事故における放射線被曝時の妊娠婦人・授乳婦人へのヨウ化カリウム投与(甲状腺がん発症予防)について」でした。



その中では、「被曝を受けた妊娠婦人ならびに授乳婦人には以下1〜4を勧める」として、ヨウ化カリウム投与について説明されています。
その「1、2」は以下の通りです。

1.被ばく線量が計50,000マイクロシーベルト(1.0Gyに相当する。1,000マイクロシーベルトは1mGyに相当)以上の場合、50mgヨウ化カリウム錠2錠(計100mg)を1回服用する(文献2では5eGy以上で服用とある、すなわち50mgGy以上の被曝で服用する)。ただし、40歳以上の妊婦では服用による利益(甲状腺がん発症危険の低域化)が見込めない可能性がある。若いほど、甲状腺がん発症の危険性が高くなり、ヨウ化カリウム服用による利益を受けやすい。またヨウ素過敏症や造影剤でアナフィラキシー反応既往のある妊婦には使用しない。

2.被曝したが、すでに安全な場所(大気の放射能汚染がない)に移動し、安全な水と食物(放射線汚染がない水と食物)を摂取している場合には上記の1回服用で十分である。

日本産婦人科学会から、翌2011年3月16日には「福島原発事故による放射線被曝について心配しておられる妊娠・授乳中女性へのご案内(特に母乳とヨウ化カリウムについて)」が出されています。


まだ福島第一原発の冷却システム復旧の見通しがたたない時期でしたので、「今後の状況変化により、このご案内は無効となる場合もあります」とされてはいますが、以下のように書かれています。

平成23年3月15日、午前6時時点で福島原発より5km以上離れたところに居住していた妊娠・授乳中女性へのご案内


1.福島原発事故放射性被曝による、ご本人、胎児(お腹の中の児)、母乳ならびに乳幼児への悪影響について心配する必要はありません
実際に受けた被曝量は人体に影響を与えない低レベルのものです。
したがって、ヨウ化カリウムを服用する必要性はありませんし、母乳をあきらめる必要もありません。


3月15日の時点で福島原発から5km以上離れたところに居住していた妊娠中・授乳中の女性への予防投与は必要がないことがはっきりと書かれています。


<避難の実際>


福島原発事故・避難関連の経緯というサイトを参考に、実際の近隣住民の避難がどのように行われたかを抜き出してみると以下の通りです。

2011年3月11日 
19:03 原子力緊急事態宣言
20:50 福島第一から半径2km以内に避難指示
21:13 福島第一から半径3km以内に避難指示、10km以内に屋内退避

2011年3月12日 
5:44 第一から半径10km以内に避難指示
7:45 第二原発原子力緊急事態宣言
    第二原発から半径3km以内に避難指示、10km以内に屋内退避
15:36 第一原発爆発
18:25 第一原発から半径10km以内に避難指示 
2011年3月14日
11:01 第一原発3号機で爆発
2011年3月15日
11:00 第一原発から半径20〜30km以内に屋内退避指示

3月12日の時点で、半径10km以内の住民には避難勧告が出されていました。
そのような状況を踏まえた上で出されたのが、上記3月16日付けの「5km以上は慣れたところに居住していた妊娠・授乳中女性へのご案内」であり、「ヨウ化カリウムの服用は必要なし」という情報だったということになります。


<3月19日の日本産婦人科学会の呼びかけ>


住み慣れた家や地域を離れるというのは苦渋の選択だと思いますが、順調に避難が進んでいれば今回の事故で50ミリシーベルト以上の被曝をした可能性のある住民はいなかったこと、そして3月16日付のお知らせの「5」に例外として50ミリシーベルト以上の被曝の可能性について書かれていますが、「その可能性も極めて低い」とされています。


また、3月15日付のお知らせの「2」では、その可能性が極めて低い50ミリシーベルト以上の被曝の場合にも「既に安全な場所(大気の放射能汚染がない)に移動し、安全な水と食物(放射能汚染がない水と食物)を摂取している場合には」ヨウ化カリウムは1回投与のみでよいとしています。


つまり今回の事故の規模では「50ミリシーベルト」という予防投与が必要な被曝量を受けた可能性のある方は住民の中にはいないこと、避難が適切に行われていれば予防投与の必要はない状況だったということだと思います。


ただ「被曝とはどれくらいの量か」「放射能汚染がない安全なところや水、食物」とは何か。
そのあたりの混乱や不安で、落ち着いた情報の取捨選択が阻まれてしまいやすかったのかもしれません。


3月19日付で日本産婦人科医会からは「福島原発事故による妊婦・授乳婦への影響について」が出されています。

現時点で報道されている被曝線量では、原発のすぐ近くで大量に被曝した場合は別として、妊婦・胎児、授乳等には特に悪影響を及ぼさないレベルであると考えられます。
 誤った情報や風評等に惑わされることなく、冷静に対応されますようお願い申し上げます。

実際に私自身が、こうした日本産婦人科学会や日本産婦人科医会の冷静な判断や情報の存在を知ったのは、水道水の放射性ヨウ素汚染がおきた3月22日以降でした。


こうした専門家のきちんとした情報や方針が伝わらず、必要もないヨウ化カリウムの予防的服用あるいはそれ以外の「放射線被曝を少なくする」たぐいの食品や代替療法などの情報の方が耳に入りやすい状況だったこと、そこに考えるべき原発事故への防災の教訓があるように思います。





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