乳児用ミルクのあれこれ 9 <「母乳が一番」を強調する時代>

昨日紹介した「哺乳ビンの消毒はいつまで続ければよいのでしょうか?」の回答モデルには、実は以下のような文が続いています。

母乳栄養児(混合栄養を含む)では、生後も母体からの免疫成分の移行が続きますし、消化管でのビフィズス菌・乳酸菌の定着が促され病原菌に対する抵抗力が高まるので、免疫学的に有利です。
さらに、完全母乳栄養児では、哺乳びん自体不要なので理想的ですね。


「周産期相談318 お母さんへの回答マニュアル 第2版」(2009年、東京医学社」より


哺乳ビンの消毒をいつまでしたらよいかという現実的な質問に対し、「完全母乳なら哺乳ビンを使わなくて理想的」という信念のようなものを書かなくてもいいのにと、私には思えるのですが。


そのあたりが、先日のyamyamutohさんが感じられたことにも重なるのではないかと思います。

母乳ノイローゼ気味だった1年前、粉ミルクの缶にまで『赤ちゃんには母乳が一番です』ってわざわざ書いてあって、ゲンナリしたのを思い出しました。


冒頭の哺乳ビンの消毒についての説明文には、「母乳栄養児」にはカッコで「混合栄養児」と書かれています。
であれば、母乳だけでなくてもミルクを足してもその免疫の効果には大きな違いがないということではないかと思います。


なのになぜあえてこの文脈で、完全母乳を持ち出さなければいけないのでしょうね。


では人工栄養だけで育っている赤ちゃんはどうなのでしょうか?
母乳だけあるいは混合栄養に比べて、致命的なあるいは成長に影響するようなことが何か明らかになったのでしょうか?
なにより現在の日本では、母乳の選択がない児はミルクがなければ生きられないことでしょう。


一世紀前であれば、生き残る選択さえ与えられなかった赤ちゃん達や母乳だけでは栄養失調になっていたであろう赤ちゃん達がミルクで育っています。


もちろん母乳の貪食細胞による感染抑制のような働きは、ミルクにはとうてい真似のできないものです。


それについて答えになるのが「完全母乳という言葉を問い直す 21 <授乳に関する科学とは>」で紹介した、ダナ・ラファエル氏の言葉ではないかと思います。

多くの国で離乳食の量と質を高め、西欧文化が発明した保健衛生施設をつくった後、母乳哺育からミルク哺乳へと切り替えると乳児の死亡率は下がります。

日本もこの一世紀で、同じ道をたどることで乳児死亡率が下がりました。


不足分はミルクで補い適切な離乳食を与えること、清潔な上下水道という公衆衛生や病院での医療を受けること。
こうした新生児から乳児期の総合的な関わり方ができて、たかだか一世紀ともいえるでしょう。
ダナ・ラファエル氏はこう書いています。

子どもの命を救う魔法はミルク哺乳にあるのではなく、子どもの健康を守るのにどれだけのお金を使えるかにかかっているのです。

ところが1970年代以降、「粉ミルクは乳児を殺すもの」として社会運動が広がりました。
それが今日の、「母乳が一番」をあえて強調する必要性のもとになったといえるでしょう。


乳児用ミルクが製品化された時代はどのような時代だったのか。
現在でも乳児用ミルクが手に入らない社会ではどのような状況なのか。


乳児用ミルクや哺乳ビンは、ほんとうにどの程度乳児に危険な使われ方をしていたのか。


ネスレ社の不買運動にはどのようなきっかけがあったのか、それが広がった背景には何があるのか。


乳児用ミルクの製品にあえて「母乳は一番」と書かざるを得なくなったこと、あるいは災害時にも母乳代用品の監視行動が行われるようになったその背景には何があるのか。
そんなことを少しずつ考えてみようと思います。




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