乳児用ミルクのあれこれ 14 <栄養失調児の親もまた栄養不足>

日本では、「食べるものがない」という状況を現実感を持って想像できる人はどれくらいいらっしゃるでしょうか。


1990年頃から10年ほど、まとまった休みがとれると東南アジアの某国に行きました。
零細漁民やプランテーションで働く貧困層少数民族の人たちの家に泊まらせてもらい、一緒に食事をし、どんな暮らしをしているのかを体験させてもらいました。


どこでもトイレどこでも沐浴も平気な私でしたが、ひとつ耐えられなかったのが空腹でした。


exposureという体験学習では、泊まらせてもらうお礼として食事代分ぐらいを渡すのがルールでした。ガイドしてくれる現地の友人と相談して、その地域の経済状況や家族数に合わせた現金を渡すのです。



どの家庭にも買い置きの調味料や食糧はほとんどありませんでした。
その日にその都度、手元にあるお金にあわせて塩を少し、米を少し・・・と買うのです。


そして、漁村といっても漁師の家族でさえ、不自由なく魚を食べられるわけではありませんでした。
ある漁師の家では、大皿に盛られた2合ぐらいのご飯と一緒に中ぐらいの大きさの焼き魚が一匹出されました。
日本なら、大人一人で食べるくらいの魚です。
でも、この家の夕食はこれだけです。この家には大人が3人、子どもが4人います。そしてガイドの友人と私が分け合って食べなければいけません。
家の人たちは、客人の私たちが食べ終わるのを静かに待っています。
焼き魚を2口ぐらいとご飯を少し取り分けて、私の夕食は終わりました。


<栄養失調児の母親もまた栄養不足>


1989年にWHO/UNICEFが母乳推進運動を始め、1991年に「イノチェンティ宣言」が出され、世界中で「生後4−6ヶ月は完全に母乳だけで育てること、それ以降は適切な栄養を補いながら母乳育児を2年かそれ以上続けること」が推奨されました。


開発途上国の母子保健をサポートする活動も、UNICEFの方針が基本になっていきました。


でも私には、開発途上国の母子保健では「栄養失調児の母親もまた栄養不足である」という大事な部分が抜け落ちてしまっているように思えるのです。


経済的貧困だけでなく、女性というだけで十分に食事を取れない社会の不平等があります。
開拓産婆で紹介したように、20世紀前半の日本でも妊婦さんや授乳中の女性に栄養が必要であることは認めない社会でした。
「産後の食事はご飯と塩・味噌のみ。副食物は血にさわる」と。


<WHO/UNICEFの途上国での母乳推進運動>


日本ユニセフ協会(国連機関のUNICEFとは異なる組織)が出しているこちらの資料には母乳育児について以下のような記述があります。
(何年の資料かわからないのですが、内容から2000年代前半だと思われます)

母乳育児
成果:この10年で完全母乳の割合は10%増加しました。
(p.33)

そして次のp.34には「完全母乳育児の割合(1995年〜2000年)」という世界図があります。


どうでしょうか。
「完全母乳育児が40%以上」の国は、インド、パキスタン、中国、スーダン、ペルー、ボリビアなど、のきなみ乳児死亡率の高い国々です。


「生まれて24時間の命 生まれてから24時間も生きられない子どもは年間約150万人」では、出生後すぐに赤ちゃんが亡くなる理由のひとつとして妊娠中の「母親の栄養不足や病気」をあげています。
母親の栄養不足や病気は、早産や低出生体重児の原因にもなることでしょう。出産直後の母親の体調もすぐれないことでしょう。


開発途上国の多くの女性は妊娠中から栄養不足という大きな問題があるわけですから、その状況で「出産後は何も足さずに母乳だけで」が解決策であるはずがないと,途上国に住んだ体験からも思うのです。




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