行間を読む 7 <どこを切っても金太郎>

1980年代の日本ではNGO(Non Goverment Organization、非政府組織)とかNPO(Nonprofit Organization、非営利団体)という言葉は、まだまだごく一部の人しか知られていませんでした。


同じ頃、東南アジアや南米などでは植民地からの解放運動、あるいは軍事政権・独裁政権から自由になるための運動として草の根運動が活発で、さまざまなNGOが活躍していました。


零細漁民、農民、プランテーション労働者、工場労働者、女性グループなど社会のいろいろな分野で、中央の組織から集落の末端の組織までつながりあっていました。
「連帯(solidarity)」という言葉を目にしない日はないくらいでした。


こうした組織の運動は、当然、独裁政権を脅かす力になっていきます。
各地で、NGOのリーダーや支援者は殺されたり弾圧されました。
「サルベージ」といって一見事故に装った状況で殺されたり、こじつけた理由で不当逮捕して拷問をする、あるいは家族を脅かして運動を押さえ込もうとしました。


海外にこうした状況が伝わることを阻止するために、草の根運動を報道するジャーナリスト、あるいは海外援助団体やキリスト教団体の外国人神父やシスターも殺害されたり、動きを監視されていました。


抑圧された社会・・・そんな一言では表せないぐらいの残酷な社会で生きるためには、人はここまで勇敢になれるのかと思う人とたくさん出会いました。


組織力の強さともろさ>


1980年代の東南アジア、しかも貧困層の多い地域では、インターネットはもちろんありませんでしたし、通信手段も交通手段もごく限られていました。


ところがどの地域にいっても、人々の情報量に驚きました。
たとえばプランテーション労働者の組織に体験学習で入ると、「○%の労働者が平均日給いくら」「○%の労働者に健康被害がある」「利益の○%は多国籍企業の××社のものになる」など、リーダーだけでなくよどみなく答える人がたくさんいるのです。


特に数字で表される統計が会話の中でごく当たり前のように使われていることに、最初はとても圧倒されていました。


しばらくするとそれらの数字や考え方は、プランテーション労働者を全国的に組織するNGOが発行しているニュースレターが元になっていることが見えてきました。
漁民の組織も、女性グループも、皆こうして中央の組織から末端の組織まで、驚くような統一された情報が浸透していくのです。


あのフィリピンのピープル・パワー革命もこうした草の根運動があったからこそ、独裁政権を倒す力になったのだと思います。


草の根運動のリーダー的な存在だった、現地の友人達をとても尊敬しています。
ただ言葉は悪いのですが、「どこを切っても金太郎」のように同じ情報が出てくることに当時なにか釈然としないものがありました。


それはwikipedeiaの「草の根運動」に書かれている以下の部分かもしれません。

実行力が高い反面、トップが崩れた場合に全体が崩壊しかねない脆い性質を持ち、末端の参加者の意見がしばしば黙殺される傾向にある


<母乳推進運動という草の根運動


途上国の乳児死亡率を減らすという理由で取り入れられた母乳推進運動の担い手は、現地の末端のヘルスケアワーカーともいえるでしょう。


途上国の村のこうしたワーカーは、小学校か中学校を卒業できた人たちが多いのですが、そうしたワーカーを目的のために動かすためには単純化した構図や単純化した数字が効果的になります。


たとえば、「母乳育児で簡単に幼い命を救えます」「完全母乳で育った子どもは、そうでない子どもに比べて、生後6ヶ月を生き延びる確率が14倍も高くなります」といったものです。


村のヘルスケアワーカーは、自分が村の保健衛生に責任を持っていることやWHO/UNICEFの活動を担っていることに大きな誇りをもって、これらの言葉を伝えて歩くことでしょう。


「簡単に救えるのか?」「14倍高くなるというのは具体的にどういう意味か」を考えることも、疑問に思うこともなく任務を遂行するだろうことは想像に難くありません。


そして片や、日本の周産期医療従事者はどうでしょうか?
私達が日々直面している、母乳育児をめぐる簡単ではない問題や個別性のある問題を経験すればするほど、WHO/UNICEFのスローガンや目標は単純化されたものにすぎないという思いが強くなるはずです。


そういう思いが抹殺されてしまうような方向にはならないで欲しいと思います。





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