乳児用ミルクのあれこれ 21 <ネスレ・ボイコットまでの経緯ー医学的議論はあったのか?>

前回の記事で紹介した「母乳育児スタンダード」(NPO法人日本ラクテーションコンサルタント医学書院、2009年)の「世界の母乳育児推進と人工乳の販売促進(マーケティング)を規制する運動の歴史」という表を、今回はもう少し細かく見ていこうと思います。


この「運動の歴史」の最初には1938年にシシリー・ウィリアムズ氏が「『ミルクと殺人』という題で加糖練乳と乳児死亡の関係を告発した」ことが挙げられていることは、前回の記事で書きました。


その次は18年の空白のあと、1956年にラ・レーチェリーグがアメリカで、1964年にはオーストラリア母乳育児協会がオーストラリアで、それぞれ「母親同士の母乳育児支援活動を開始」が挙げられています。


4番目の1968年以降から、人工乳への具体的な批判をした活動が書かれています。

1968年 Derrick D.Jelliffe(アメリカ) カリブ海諸国における人工乳使用による栄養失調を告発

1970年 国連たんぱく質・カロリー・アドバイスグループ(スイス) 企業による人工乳の商業販売活動に関し介入を開始

1972年 国際消費者機構(イギリス) 「乳児栄養の宣伝方法に関する規約案」をWHOと国連食糧機構(FAO)に提出

1974年 ベルン第三世界研究グループとネスレ (スイス) 開発途上国における人工乳の販売行為を告発した「ネスレは赤ちゃんを殺す」をスイスで出版、ネスレはこれを名誉毀損で訴えた(ネスレ訴訟)

1977年 Infant Formula Action Coalition(INFACT)(アメリカ)ネスレの非倫理的販売活動を抗議しネスレ商品のボイコット運動を開始(第一次ボイコット)

1978年 米国上院議会(アメリカ) 開発途上国における乳児用人工乳の不適切な販売活動に関する公聴会を開催、ネスレボイコットが世界に拡大

1979年 WHO/UNICEF (スイス) 乳幼児栄養に関する国際会議を主催、人工乳の販売活動に関する国際基準の必要性と内容が議論された


1979年 乳児用食品行動ネットワーク(IBFAN)(イギリス) 人工乳販売活動の国際基準の作成とその監視をするNPOとして活動開始

こうして1981年にWHOの「母乳代替用品のマーケティングに関する国際基準」が採択されました。


<途上国の乳児死亡とミルクの因果関係は議論されたのか?>



上記の運動の歴史の中では、途上国で人工乳のマーケティング方法が実際に乳児の健康にどのような影響を与えたのかという医学的議論がどれだけあったのか見えてきませんが、カリブ海諸国における人工乳使用による栄養失調を告発したジェリフ医師について「フード・ポリティクス 肥満社会と食品産業」(マリオン・ネスレ著、新曜社、2005年)の中に紹介されていました。

 1970年代後半には、粉ミルク会社は百カ国で50ブランド、200種類の乳児用粉ミルクを販売するようになっており、「商業的に作り出された栄養不良」ー広告の受け手の経済的資源を完全に越えた製品を「思慮なく」促進する動きーがはびこった。
 当時ジャマイカで仕事をしていた小児科医のD・B・ジェリフ医師は「これは道徳の問題である」と述べ、「適切な量を利用できる経済上または衛生上のチャンスがない人々に対し、動機づけと説得の近代的手法を使って乳児用粉ミルクを広告するのは倫理的に正しいのでしょうか。現在、母乳育児が行われている地域で粉ミルクが広く広告されるべきでしょうか」と疑問を呈した。ジェリフ医師は、「厳しい競争的な世界は商業的な関心で動いており、成功した商業の利益は大きい」ということを栄養学者は認識しなければならないと考え、栄養学者と粉ミルクのメーカーに「意見交換をするよう」強く促した。(p.181)

シシリー・ウイリアムズ氏が1930年代に加糖練乳を乳児に与えることの危険性を社会に伝えたあと、そのリスクは乳児用調製粉乳を開発することにより改善されてきました。


この「運動の歴史」をみると、その改善された乳児用調製粉乳がどのような状況で使われるとどのようなリスクがあるのかという医学的な根拠はよく見えてきません。


小児科医ジェリフ氏の発言を要約すれば、「経済的に粉ミルクを買えない層に、粉ミルクを宣伝することは倫理的問題がある」ということになります。


アメリカ、イギリスなど粉ミルクを購入することが可能で粉ミルクによって栄養的な恩恵を受けていた社会から、「買えない人たちには勧めるな」「粉ミルクではなく母乳でなんとかしろ」という声があがるのは何故だったのでしょうか。


スーザン・ジョージの「なぜ世界の半分が飢えるのか 食糧危機の構造」(朝日選書257、1984年)を読むと、その時代の背景が少しみえてきます。
次回は、その本からネスレ・ボイコットを考えてみようと思います。




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