乳児用ミルクのあれこれ 25 <粉ミルクは乳児感染症を増やしたのか>

1970年代に医師の問題提起によって始まった途上国における粉ミルク販売への批判から40年ほど過ぎましたが、その間に医療の中でも大きな変化がありました。


それは1990年代に広がった「根拠に基づいた医療」です。


私にはとてもこの言葉の全体像を説明できるような能力はないのですが、なぜ助産師の中に代替療法が広がるのかこのあたりの記事から書いてきた中で、自分なりの考え方で表現することが許されるとしたら次のようなことです。

●「どこまで検証されているのか、どこまでわかっているのか」あるいは「どこまでわかっていないのか」を常に調べること(わからないことはわからないとすること)
●権威のある人や組織が主張していたり、論文や出版物になっているから正しいわけではない(パターナリズムから距離を置く)


まだこの「根拠に基づいた医療」という言葉さえない1970年代でしたから、十分な医学的検証がされていなくても、「アフリカで医療活動をした医師」の発言だけでも世界を動かしていったのではないかと思います。


<「個人的体験談」に基づく主張であった>


スーザン・ジョージ氏の「なぜ世界の半分は飢えるのか」(朝日選書257、1984年)では、この医師の主張が書かれています。

『ニュー・インターナショナリスト』の記事によれば、アフリカにおける乳幼児の栄養失調の増加と、それに基づく死亡者の増加は明らかに人工授乳によるものだという。


ミルクと栄養失調、そして乳児死亡の増加の因果関係をこれだけ強く主張するためには、根拠が必要です。


現在であれば、疫学的、統計学的な調査研究が不可欠ですが、当時はまだ「そう考えた人が発言すれば、その仮説が容易に認められた時代」でした。
まぁ、今でもそれは根強いのですが。


さて、「なぜ世界の半分は飢えるのか」では、この記事が出たあとにアフリカ全土から医師・看護師の手紙が来たことが書かれて、そのうちの1例が紹介されています。

ザンビアで働いている医師は、保健指導員から注意を受けたのに人工授乳をやめず、生後数ヶ月で双生児を死なせてしまった母親の話をひきながら、こう述べている。
「人工授乳による栄養障害があまりにひろがってしまったため、赤ん坊のベッドに”レクトゲン症状”という札をつける病院も出てきている。”レクトゲン”というのは、ネッスルが売り出しているベビーフードの商品名である」

この「レクトゲン」については、「フード・ポリティックス 肥満社会と食品産業」(マリオン・ネスル、新曜社、2005年)の中で乳幼児粉ミルクの広告の例として写真が載っています。

「Lactoben あなたの赤ちゃんに最適なミルクです」

その広告の一文が批判の的となり、「こうした広告は粉ミルクの使用を促進したが、ネスレ製品の国際的な不買運動も引き起こした」とあります。



ザンビアの一例をみても、双生児の死亡を粉ミルクに原因があると判断した根拠や、人工授乳による栄養障害をレクトゲン症状とつける根拠は何なのだろうと疑問がわきます。


そんなに単純な因果関係がわかるはずがないと考えるほうが、医学的には正しいと思います。


またたとえそのザンビアの母親が「広告で宣伝されていたのでミルクがよいと思った」としても、その個人的体験談から、粉ミルクの販売方法が母親たちの行動に変容を起こしたために乳児の栄養失調や感染が増えたと社会全体のこととして結論づけてしまうのは拙速です。



そして「哺乳びん病」と名づけるぐらいであったのであれば、なぜ1977年から始まったネスレ・ボイコットは粉ミルクの多国籍企業だけが批判され、「不衛生な状態が感染を起こしやすい」哺乳びんメーカーへの不買運動は起こらなかったのでしょうか?



粉ミルクは開発途上国での栄養障害や感染症の増加をもたらしたかどうかという医学モデルよりも、多国籍アグリビジネス批判のための社会モデルにひっぱられてしまった運動だったのではないかと、私には思えます。


結局は、粉ミルクがアフリカなど開発途上国で乳児を殺したり、栄養失調を起こしたのかということは、本当はよくわかっていないということだといえるでしょう。
それを根拠にしてきた粉ミルク不買運動、そして母乳推進運動の根幹ともいえる部分ですが。




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