哺乳瓶のあれこれ 1 <哺乳瓶の開発物語>(2013年11月28日追記あり)

「哺乳瓶のトリビア」では、日本でも1830年代の江戸時代末には、哺乳瓶の原型に近いものが使われていたことを紹介しました。


今回は、アメリカで現在の哺乳瓶の原型を作った人について書かれたものがありましたので紹介します。

「世紀転換期米国の乳児哺育をめぐるアクター・ネットワーク  −ドクター・デッカーのヒュギェイア哺乳瓶を手がかりにー」
                   吉岡 公美子

ネットで公開されていた論文には所属など詳細は何もなかったのですが、立命館大学のURLでしたので、この方だと思われます。
「ことばとひろがり(5)」(『立命館法学』別冊)に掲載された論文のようで、2013年3月とつい最近のもののようです。


経歴のなかには「乳児哺育をめぐる二分法ー乳児用調整乳は(自然な)母乳の代補か」や「<自然な>母乳か<人工>ミルクかー米国における乳児用の系譜学のために」など、とても興味深い内容があります。


それらは2001年から2002年に発表されていますから、助産師もこうした地道な研究を参考にしながら、哺乳瓶や乳児用ミルクがどのように社会で必要とされ使われるようになったか多角的に考える学問的基礎を持っていたなら、「完全母乳」を勧める側にはならなかったのではないかと、つくづく悔やまれます。


<1870年代の哺乳瓶とデッカー氏の特許>


さてこの論文の冒頭で、19世紀に英国から輸入され、その後米国でも製造されていたという1870年代当時の哺乳瓶の様子が描かれています。

軍用の丸型水筒のような扁平なガラス容器に細いゴム管が取り付けられ、その先端にゴム製の乳首がついているというものだった。

この文章から実物を想像するのは難しいのですが、「細いゴム管が取り付けられ」という点だけでも、私たちがすぐに思い浮かべる哺乳瓶とは全く異なるものだったようです。


私たちが哺乳瓶として思い浮かべる「広口の円筒形ガラス容器の口を直接大きなゴム製の乳首で覆った哺乳瓶」は、「ニュー・ヨーク州のWilliam More Decker医師が考案し、1894年に特許をとった発明品」だそうです。



ただ、この「ガラス容器の口を直接大きなゴム製の乳首で覆った」哺乳瓶も一般の方にはなじみがないかもしれません。
医療機関はまだこうしたタイプがよく使われていますが、市販されているものはプラスティックにゴムやシリコンの乳首をはめて哺乳瓶にねじ込む製品が主流でしょう。


<感染予防で作られた>


「細長いゴム管」と書かれているだけで、哺乳瓶を使った経験があればまず「どうやって洗って、清潔にするのだろう」と心配になることでしょう。


デッカー氏が考案したヒュギエイア哺乳瓶も、ゴム管付き哺乳瓶の危険性の議論の中で考案されたことが、上記論文のp.270から書かれています。

とのころで、長いゴム管付き哺乳瓶の問題点はかなり早くから指摘されていた。後に改訂を重ねつつロングセラーとなる小児科医L.EMMett Holtの育児指南書『小児のケアと哺育』の1894年版は、「長い管のついた〔乳首〕は複雑すぎて清潔に保つことが困難である」として、単純な真っすぐの乳首を哺乳瓶の首に直接取り付けることを推奨している。

現代の私たちなら当たり前のように考え付くことですが、一世紀前にはようやく人類がたどり着いたものであったことが次の一文からわかります。

もちろん、Holtの助言は、パスツールやコッホらによる19世紀後半の微生物・衛生学の進展があって初めて可能になったものである。

乳児用ミルクが作られ始めた時代と重なります。



哺乳瓶はなぜ必要とされ改良されながらつくられてきたのか、なぜ哺乳瓶を使わせない方向性が出てきたのか、そんなことをしばらく考えてみようと思います。


<2013年11月28日、追記>


こちらのコメント欄であおさんが「The history of the feeding bottle」というサイトを教えてくださいました。
あおさん、ありがとうございます。


そのサイトのアドレスに「murder」とあることや、本文中の見出しにも「The not so firendly bottle」(赤ちゃんには優しくない哺乳瓶)とあるように、1880年代に作られ始めた哺乳瓶は写真を見る限り、洗って清潔にするには相当難しそうな構造ですね。


ミルク(無糖練乳から加糖練乳、そして調製粉乳まで)が感染源というよりも、むしろこの哺乳瓶と人工乳首の構造の方が感染の機会を増やしたのは推測に難くありません。


なぜ、ネスレの粉ミルクが標的にされたのか。
やはりもやもやするところです。