境界線のあれこれ 19 <新生児の正常と異常をどのように認識するか>

前回までの記事に書いたように、助産師になったばかりの頃は新生児の世話についてはそれなりにできていましたが、「異常」に対しては不安がたくさんありました。
「異常を見逃しているのではないか」と。


ですから、少し新生児の呼吸が速いと「多呼吸か?感染症とかあるのか?」と不安になり小児科医を呼んだり、あるいは手足の動かし方や表情がが「何か変」と感じると「けいれんではないか」「○○という疾患ではないか」と不安になり、またまた小児科医に報告していました。


今思うと、本当にしょうもないことで小児科の先生を呼んですみませんでしたと赤面です。


小児科の先生方はいつも必要があればすぐに診察に来てくださいました。
新生児の全身を診て「様子をみて大丈夫でしょう」という一言にどれだけ安堵したことでしょう。
「こんなことで呼んで・・・」と内心では思われたこともあったと思いますが、一度も面と向って言われたこともありませんでした。
本当に感謝です。



さて、なぜ同じ新生児の状態を観察したときに私は不安になり、小児科の先生方はさっと新生児を診て大丈夫だと判断できるのでしょうか。
当時に比べれば、今は私も「これは異常ではないだろう」と判断して様子をみることができるようになりましたが。



もちろんそれが医師と看護職の医学的知識の差ではあるのですが、正常と異常を認識(観察)する視点が違うのかもしれないと思うようになりました。



<医師・・・疾患(異常)に対する知識・経験からの消去法>


看護職も新生児の疾患については基本的なことを学びます。
「異常の早期発見」は大切な看護の仕事であるからです。
「なにかおかしい」という「症状」をキャッチすることが重要です。
その「症状」が出現する可能性のある疾患はいくつか思いつく程度で、そこから先の「診断」は医師の仕事になります。


医師の場合、症状の報告を受けた時点で考えうる疾患とその診断のための道筋が瞬時にいくつも思い浮かび、消去法で「大丈夫」か「検査や治療が必要」か、という判断ができているのだと思います。


ですから「呼吸が速い」新生児を前にしても、いますぐに何かする必要はなさそう、あるいは治療が必要そうという判断ができるのだと思います。


<看護・・・日常の中の変化をとらえる>


そういう医師の視点と看護の違いといえば、日常の変化の中での正常と異常の境界線を見極める・・・という感じかもしれません。


特に経過が順調な新生児でも、呼吸が速い時もあればゆっくりな時もあります。
眠ったり起きたり変化しているのですから当然といえば当然です。


助産師になりたての頃に「呼吸が速い、異常な呼吸ではないか」と小児科医に報告していたもののほとんどが、最近では「哺乳行動に伴う変化」だった可能性があるのではないかと考えています。


「飲む」だけでなく、消化・吸収・排泄までのプロセスの中で新生児もぐずぐずしたり活発な様子があります。
時にはまるで走った後のように息遣いが荒くなったかと思うと、急に落ち着いてリラックスする様子が見えてくるようになりました。


新生児の異常や疾患を知り尽くした上で「これは様子を見て大丈夫」と判断しているのではなく、「新生児の日常の変化にはあること」として判断できるようになったという感じでしょうか。


ただし、あれこれと異常と結びつけて不安になりすぎるのも問題ですが、お産に対する正常性バイアスのように、異常を知らなさ過ぎて「正常」と思い込むことも危険ではあります。


新生児の正常と異常の境界線は、視点によって大きく変わる可能性があると思います。





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