1960年代の出産の医療化の時代を境に、栄養と衛生状態の改善そして小児医療の発展によって新生児死亡率・乳児死亡率が劇的に改善されました。
1970年代終わりから80年代初めに看護学生だった私さえも、自分が生まれた1960年代の新生児死亡率や乳児死亡率の高さはまったく実感できないほど、あたりまえのように医療の恩恵がいきわたった時代になっていました。
看護学生の時に母子別室、規則授乳を学んでも、その方法が当たり前であって、「その前の時代にはどのように育てていたのか」には思いがいたりませんでした。
それから数年後に助産婦学生になった当時は、ぼちぼち「自然な育児」という言葉が聞かれる時代に変化し始めていました。
「昔の人は、どうやって授乳をしていたのか」
助産婦学校に進学する前の東南アジアやアフリカでの「自然な授乳方法」で育てているお母さん達を見る機会があったので少しイメージができました。
でも、「少し前の日本ではどのように授乳をしていたのだろう」、当時はそんなことさえ知る手がかりがありませんでした。
<「大正末期より昭和20年代における育児法をたずねて」>
同じように、少し前の時代の「母親モデル」はどのようだったのかわからなくなった時代ゆえに、それを知りたいと考えたのであろう研究がネット上で公開されていました。
大正末期より昭和20年代における育児法をたずねてー伝承によるその自然なすがたー
出沢たま・寺田真廣・今関節子・田村文子・二渡玉江
群大医短紀要 N03 1982年
著者の経歴を見ると、ちょうどあの1960年代初めの過渡期に助産婦になった方々のようです。
調査では大正11年(1922年)から昭和20年前半(1945〜)に出産した16名の女性、この研究が行われた1980年初頭に出産をする世代からみて2世代上の女性を対象にしています。
この研究は1980年代の「子どもたちをめぐる社会問題」の一因として「現代の多くの女性は、母親モデルを認識することなく、また育児練習をすることもなくして母親となる」状況が影響しているのではないかという「仮説」を検証することがひとつ、そして「昔の育児方法のなかに、今では忘れられた『何か』があるかもしれない」ということを明らかにすること、その二つが目的のようです。
母親モデルがないことが子どもたちの社会問題に影響を与えているのではないかという「仮説」については、また後日考えていこうと思います。
<乳児の「栄養」について>
上記の論文の中に、「3 栄養」があります。
「乳児の栄養については、不明の1名を除き、全員が母乳を与えている(表19)。そのうち5名は母乳が足りず、何らかの代用乳で補っていた」と書かれている部分は、ダナ・ラファエル氏が「常時離乳している」と書いたことと重なります。
「規則授乳」以前はどのように授乳していたかについては以下のように書かれています。
授乳については、「泣いたら与える」と答えた人と、5〜6回与えたと答えた人がいた。他に泣いてもすぐには与えられなかったが1名、大人の食事とかち合わない様に与えたという人が一名あった。
その後に出てくる「沐浴」や「臍の消毒」が、新生児期の記憶としては細かいところまで残っているのに比べると、「栄養」に関しては新生児期もその後の乳児期も一緒になったかなりおおざっぱな記憶という印象を受けます。
「昔の育児法のなかに、今では忘れられた『何か』があるかもしれない」
むしろ昔から、というかつい半世紀前までも新生児期については観察も不十分で、さらに記憶にも記録にも残されていない・・・そんな感じではないかと思います。