自律授乳のあれこれ 9 <新生児が観察され始めた時代>

「我が国の妊娠・分娩の危険性は?」の4ページ目にある「我が国の分娩場所の推移」のグラフをみると、1960年に自宅と病院での分娩が半々だったものが急速に十年間で病院での出産に移行し、1970年から1975年でほとんどの出産が病院で行われるようになりました。


現在では当たり前と思われている、医師・看護職という専門職によって出生直後の新生児を少なくとも数日間は観察しケアする体制ができたのが、1970年代ということになります。


つまり新生児看護も、それまでほとんど体系化されていなかったものが、この1960年代にようやく作られ始めたものだといえるでしょう。
それまでは、24時間ずっと新生児を観察するという経験を、ほとんどの助産婦も看護婦ももたなかったのですから。


そう考えると、私が1970年代終わり頃に産科として新生児のケアを学んだのは、こうした体系化が始ったばかりの時代だったということに、最近ようやく気づいた次第です。



そして、私が1980年代終りの頃に助産婦学生として新生児のケアを学んだ時点でも、新生児看護の体系化が始ってわずか20年ほどにすぎないものだったわけです。


1960年代以降の助産婦・看護婦は、どのように新生児看護の基礎を築いてきたのでしょうか。
新生児の観察のポイントとケアのポイントを標準化するために、それまでの経験を出し合って、ほんとんど一からといってよいような地道な作業を繰り返して、この手元にあるような教科書ができあがったのだと思います。


<データーを集めて新生児の観察の基礎をつくる>


当時のそうした経過を知る資料が何もないので想像でしかないのですが、たとえば「体温」の記述ひとつをとっても、それまで室温も新生児の体温も測定することのなかった時代から、測定をしてデーターを集め、この数行の「本質」にいたるまでどれほどの人が力を注いだのだろうと気が遠くなります。

C.体温

 出生時の直腸温は、36.5〜37.8℃位であり、分娩室内を23〜24℃に保持し、保温に留意すれば、出生後の体温の下降は2〜3℃にとどめることができる。生後下降した体温は、24時間ぐらいで安定し、36.5〜37.5℃位で維持される。
35.5℃以下は低体温、38℃以上は発熱である。

1960年代から70年頃はまだ計測に時間がかかる水銀計が主流でしたから、測定して正確なデーターを集めるだけでも手間がかかったことでしょう。
「そんなことしなくても、だいたいの感覚でわかる」という不満を心に抑えて、まずは客観的なデーターを作り出していたのではないかと想像します。



そうしていくうちに、ぐったりしている新生児のうち「体温が異常に低い」新生児がいることに気づき、「異常に低い」新生児というのは「平均して何度以下」なのかがわかるようになる。


さらに多くの医療機関で血糖測定が日常的にできるようになり、低体温と低血糖の関係がわかるようになる。


それまでは「ぐったりして元気のない新生児」にひとくくりされていた状況を、原因と対応が少しずつひも解かれていく、そんな時代だったのではないかと思います。


客観的な方法で新生児を観察し、そこから「新生児看護の本質」がようやく見え始めたのが1960〜70年代だったといえるのかもしれません。