行間を読む 8 <根強い「きずな」幻想>

前回の記事で紹介した「母乳育児支援スタンダード」(日本ラクテーション・コンサルタント協会、医学書院、2008年)の「早期授乳を支援するときの留意点」に以下の一文が入っています。

7)児とのきずなの形成母親と父親の両方を含むことを心にとめておく。


さらっと読み飛ばしそうな一文ですが、今日はこの「行間」を考えてみようと思います。


<「母と子のきずな」から「親と子のきずな」へ>


私の手元に「クラウス ケネル 親と子のきずな」(医学書院、1985年)という本があります。


私が看護学生だった1970年代終わり頃には、「母と子のきずな」として学んだ内容です。


なぜ「母」から「親」に変わったのか、「母性愛神話まぼろし」(ダイアン・E・アイヤー氏著、大日向雅美・大日向史子氏訳、大修館書店、2000年)の序論に書かれています。


<ネズミとヤギの行動からたてた仮説>


「母と子のボンディング(きずな)」はどういうものでしょうか?

母と子のボンディングを重視する考え方の起源をたどると、1972年にジョン・ケネルとマーシャル・クラウスという二人の小児科医がNew English Journal of Medicineに発表した研究からはじまっている。彼らの研究によれば、分娩の直後から16時間余分に赤ちゃんと接触した母親は、授乳時にしか接触しなかった母親に比べて赤ちゃんの世話がうまく、また子どもの方も発達が良好であったという。この劇的ともいえる結果は、分娩直後、ホルモン分泌の変動が大きい時期が、母親にとっては子どもに対する愛情がもっとも敏感な時期(感受期)であって、その時期に子どもとどれくらい触れ合うか、即ち、子どもとの接触時間の長さによって、その後、赤ちゃんを受け入れることができるか否かが決定されることを示しているという

この仮説をたてた背景が次のように書かれています。

ケネルとクラウスは、動物、とくにネズミとヤギのメスでは、分娩前後の行動が母性ホルモンによって決定されるという研究からヒントを得ている。たとえばメスのヤギの場合、分娩直後にわずか5分間でも子ヤギと引き離されると、その後子ヤギを受け入れなくなってしまうという。

これを人間に当てはめると、仮に母親が分娩後に新生児と引き離されるようなことがあれば、その後における子どもの受容に困難を生じるということになろう。実際、ケネルとクラウスは、この知見をもとに、保育器で育った子どもが虐待を受ける確率が高いのは、出生後、母親から引き離されている期間が長いからではないかという仮説を提唱している。

著者は、1940年代からすでに議論の積み重ねがあった「母性剥奪論とアタッチメント」からみればことさら新しい主張でもなく「論理的根拠の乏しい研究がなぜ学会で受け入れられたのか」について分析をしていきます。


<「母と子のきずな」が広く受け入れられた理由>

発達心理学者たちは懐疑的であったのに「小児科医たちは概ね受容的」にこの仮説を受け入れた背景には、当時NICUが広がり、長期入院によって家族関係に問題が生じていた時期に「問題を解く鍵がある」と思われたのではないかと書かれています。


また、ボンディング研究がなぜこれほど「熱心に広く受け入れられたか最も有効な理由」として、女性には女性のふさわしい役割があるとする考え方が社会に根強く存在していたことを挙げています。


とりわけ、ピューリタンの教義では、「女性は家にいて家庭を守る高潔な『守護天使』」であり、「女性の居場所は家であり、行い正しい子どもを育てるのが役目」というものです。


そういう考え方の広がりは、アメリカの母乳推進運動の背景にある、伝統主義的なキリスト教徒家族運動とも重なり合うものでしょう。


<「母と子」から「親と子」へ>


このようなボンディングを築くのに特に適した時期、いわゆる感受期があるという考え方が1970年代に普及していきました。
ところが、罪悪感を持つ人たちをも生み出しました。

母と子のボンディングの重要性は絶対的なものと信じられるようになったので、たとえば養子をもらったり、子どもが未熟児で保育器へ入れられたり、あるいはもっとしばしばおこりうるケースとして、産褥期に母親自身や新生児が病気にかかったりして、ボンディングを築くための決定的な時期に赤ちゃんと一緒にいることができなかった場合には、親達をたいそう苦しめることになった。

1980年代のはじめには「ボンディング研究は学理的にも研究手法の上でもお粗末なものであると批判」されたようです。


そしてケネルとクラウスは「母と子」ではなく「親と子のきずな」に改題します。

こうした後悔や罪の意識に苛まれる親に配慮して、ケネルとクラウスは1982年に『親と子のきずな』という本を出版し、親たちを安心させようとした。
いうまでもなく、分娩直後に赤ちゃんと接触ができなかった場合でも、ほとんどの場合、親は赤ちゃんとボンディングを築くことは可能です。」


<科学的のようであって科学的でないもの>


「母性愛神話のまぼろし」の著者は序論の最初にこう書いています。

科学的な手法を用いて行われたと主張される研究も、時として世の中の理念や学界の大勢を占める見解に引きずられて、研究から得られた知見の範囲を逸脱した結論に導かれる危険性を孕んでいることを本書では明らかにしたい。

そして「母と子のきずなという科学的なフィクション」が、「病院での分娩や産後のケアにおいて生ずるさまざまな問題を解決する上で極めて有効性が高いものと信じられている」ことを批判的に検証しています。



この本が日本語訳として出版されたのが2000年ですが、1980年代にすでに「お粗末な仮説」とされた「きずな」は、日本では廃れるどころか母乳育児推進とともに使われるようになった時期です。
日本の周産期医療の中では、こうした批判的な議論をあわせて多角的な視点で親子関係を考えようとする動きがなかなかできないのはなぜでしょうか。


著者が書いているように「研究とイデオロギーとがいかに表裏一体のものであるか」、出産・育児に関する研究の成果を取り入れるときに充分に注意が必要だと思います。






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