境界線のあれこれ 33 <系統的に学んだかどうか>

私の勤務先で一緒に働いている師長さんと思われている准看護師さんですが、本当によく状況が見えて、さくさくと臨機応変に動ける方です。


私がその産科診療所に勤務し始めた頃は助産師が足りなかったので、助産師がいない勤務帯にはその准看護師さんが分娩の経過観察もしていました。
産婦さんへの腰のマッサージも上手で、産婦さんからも「あの『助産師』さんのおかげで乗り越えられました」と喜ばれていました。
お産になりそうという判断も確実で、先生を呼ぶタイミングも絶妙でした。


産科診療所ではこういう准看護師さんあるいは看護師さんがたくさんいて、日本のお産の半分を担ってきたのかと初めて認識したのでした。


きっと、こういう現実が助産師の世界では「准看護師がお産についているなんておかしい。許せない」という感情に結びつきやすかったり、「看護師が助産師のような顔している。だから産科診療所には就職しない」という思いがあるのかもしれません。


私も最初からすんなりその現実を認めたわけではなく、「お産に関わるのに、助産師と看護師、特に准看護師さんとの違いは何だろう」と正直なところ心がざわつくこともありました。


<「たたき上げ」と「系統的に学ぶ」ことの違い>


最初の頃は、その准看護師さんも言葉では直接言いませんが、「私だってお産の経過を見れますからね。たくさん経験しています」という気持ちが態度から伝わってくることもありました。
ずっとその診療所を守ってきたという彼女の矜持でもあるのでしょう。


その経験を尊重しつつ、私たち助産師と何が違うのだろうと行きつ戻りつ考えていました。


もちろん私たち助産師は児娩出まで行うのに対して、その准看護師さんの時には児娩出の時には産科医が必ず代わりましたから、それは法律上でも規定されている大きな違いです。


ただし分娩経過中の観察と産婦さんのケアに関して言えば、新人助産師とは比較にならないほどの経験を持っています。
現場の「たたき上げ」で積んできた経験とも言えるでしょう。


経験を積めば積むほど、教育背景や資格に関係なく、助産の本質に近づくのではないかと思います。


ところが、自分ひとりの経験と言うのは広い全体の中から見れば限られています。


その分娩介助に熟練した准看護師さんとの距離の取り方がだんだんとお互いにわかるようになって、彼女も私から聞くいろいろな体験談に、「え、そんな怖いことが起こるのですね。知らなかった」と素直に認めることが増えていきました。


そう、その「自分は知らないけれど、世の中にある事実を系統的に学ぶ」それが教育ではないかと思います。


<系統的に学ぶということ>


何度か書いてきましたが、私は看護師を数年経験してから助産婦学校に進学しました。


久しぶりの学校生活は、それはそれは充実していました。


何が楽しかったかというと、授業を聞いているとそれまでの臨床経験や社会経験とどんどんとつながって、理解が深まっていく楽しさでした。
もっと知りたい、もっと授業を聞きたいとわくわくしていました。


看護学校からそのまま進学した同級生に比べると、私ともう一人の臨床経験のある友人は知識の吸収力が違いました。


あるいは看護学校時代の母性看護では基礎的なことしか学んでいませんでしたが、それを掘り下げて学んでいく楽しさがありました。


一緒に働いているあの准看護師さんも、正看護師の学校そして助産師学校へ進学する機会があったら、私と同じようにそれまでの経験から一気に世界がまた広がっていたのではないかと思います。


系統的に学ぶチャンスが与えられればそれまでの臨床経験をもっと活かせていける、そんなダイヤモンドの原石のような人たちがたくさんいる。
それが准看護師さんたちではないかと、もったいなく思うのです。


資格の優劣の話ではなく・・・。





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