境界線のあれこれ 36 <「病院」とは何をさしているのか>

今、あたりまえのようにある社会のシステムはいつから始ったのか、そんな興味がつきないこの頃です。


医療や看護の歴史をもう少し知りたいと思っている時に、ちょうどこの本が出版されていました。

「日本病院史」
福永 肇著、 PILAR PRESS、2014年1月14日

日本に病院ができて、どのくらいたったのでしょうか?
「序文」には以下のように書かれています。

 日本に最初の本格的な西洋式病院ができたのは幕末の1861年であり、それは日本の最西端の遠い街の出来事であった。日本の病院の歴史はたかだか150年でしかない。日本人は病院を遅く持った。西欧の病院、例えば今日も病院事業をしているパリの市民病院「オデル・デュー」が開院したのは西暦660年であり、爾来1350年の歴史を誇る。

「第7章 日本の医療システムの構築」では、1871(明治4)年に岩倉使節団アメリカとヨーロッパを視察した際に病院を見学した記録について書かれています。
団員の多くは病院というものを見ること自体が、初めての体験だったのだろう」(p.197)



日本人が「病院」を社会に取り入れて、わずか150年なのかと改めてその変化に驚きます。


<戦前の「病院」と戦後の「病院」>


明治時代以降、日本は近代医学を取り入れてきました。
近代医学とは何かについては、こちらの記事中井久夫氏が「病院+看護=近代医学」であることを紹介しました。


さらにその「病院」も、戦前と戦後では指しているものが違うことを、福永肇氏は以下のように書かれています。

 病院の基本は、患者を入院させて診察や治療を行う施設である。その時の政治体制、経済環境、財政状況、社会思想、人口構成、疾病構造といった社会基盤の上に病院は存立している。そのために、病院はその時代の医学水準と共に、その時の医療制度という枠組みや医療政策からも大きな影響を受ける。

例えば日本では、第二次世界大戦敗戦までの富国強兵時代の病院と福祉元年(昭和48年)以降の時代の病院とでは、社会が病院に求めた機能は違っている。また無医町村時代の病院と病床削減方針時代の病院とは医療政策や病院経営の在り方は違う。今後の高齢社会にて病院に求められる機能、役割は、これまでとは違ったものになってくるであろう。病院を論ずるときにはその時代の背景と医療政策の理解なしには語れない。(「序文」、p.4)

欧米で歴史を重ねて創り上げてきた「病院」と、同じかそれ以上の医療システムをわずか150年ほどで日本はつくりあげてきたこと、その150年は日本の社会もまた急激に変化した時代であることを知れば知るほど、「病院」という言葉ひとつを使うのにも慎重にならざるを得ません。


特に戦前は、病院は一部の富裕層か学術用・研究用の貧困層だけを対象にした限られた施設であったこと、さらに「医療政策は、アジア・南洋への国家進出を支える人口膨張政策と、強い兵隊や銃後の労働力となる健民健兵政策の二本を軸とした」(p.279)というように、現在の私たちが思い浮かべる医療・福祉とは全く違う役割を日本の「病院」は担っていたことなどが詳しく書かれています。


<いつのどのような「病院」に対する批判であるか>


福永肇氏は、以下のように書いています。

 医学は日々発展するし、医療の現実や医療制度は時代に応じながら常に変化していく。事実を把握し、理解しようという時には、新聞的に、感想的に鵜呑みにするのではなく、もう少し深く根っこになっている根拠をえぐり出して考えることが必要となる。歴史を勉強すると、知識が深まるだけでなく目線が高くなり、視野が広がる。今日の医療制度や病院があるのは、先達たちの努力や苦労が礎になっていることが理解され、文化を大事にして平和で良い社会を創っていこうというインテリゲンチアになる。(p.5)

まことにそうだと思う一文です。
この本の序文を読むだけで、医療従事者側も医療を受ける側も認識が少し変わるのではないかと思います。


著者によれば、現在日本の医学部や保健学部で「医学史」を教えているところは少なく、「病院史」については皆無であろうとのことです。


助産師の教育においても、「病院史」は大事だと思います。
今までの「病院のお産」への批判のその「病院」とはいつの時代のどのような社会背景があったのか。
その理解なしに、感覚的に批判を受け入れすぎてきたように思えてなりません。


ちょっと高い本ですが、読む価値のある本だと思いました。





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