境界線のあれこれ 37 <旧資格から新資格へ>

前回の記事で、日本が近代的な医療システムを取り込んでからたかだか150年であることと、その歴史が書かれた「日本病院史」(福永肇氏、PILAR RESS、2014年)を紹介しました。


人の歴史からみればわずかの150年ですが、そのあいだに医療内での資格は旧資格から新資格への変化を何度も経験してきたことでしょう。


そのように社会の変化に応じて新たな資格が作られ旧資格と置き換えられていく時期には、旧資格の人たちをまもるための暫定措置が必要だったり、急速にある資格を育成する必要が出てくる時期もあることでしょう。


たとえば上記の本でも、1906(明治39)年に医師免許制度ができた頃について以下のように書かれています。

 また医師開業免許制度は最終的に明治39年制定の「医師法」「歯科医師法」にて、医科大学または医学専門学校の卒業者のみで、かつ内科・外科等の専門科目を2年以上就業した者への免許となった。この時点で日本の公的医療制度は漢方医学とは決別した。ただし、医制37条では経過措置として、当分の間、開業中の医師(漢方医)への仮免許公布を認めている。(p.200)

この時期の「医師」には、大卒の医師、専門学校卒の医師、そして暫定措置の漢方医がいたことになります。


そして戦前は、富国強兵政策として軍病院が増設され医師数を増やす必要があったことが書かれています。

日露戦争時には医師国家試験の受験資格が易しくなり、太平洋戦争中は医師短期速成の医学専門学校が雨後の筍のごとく林立するなど、医師供給は郡部からの要請に大きな影響を受けている。(p.301)

医師資格についてはよく知らないのですが、戦後しばらくは、戦前の大卒の医師とこの医学専門学校卒の医師、そして戦後の新しい医学部卒の医師が混在して、日本の医療を担っていたことになるのでしょうか。


助産師の旧資格から新資格へ>


助産師の資格の変遷については、今までもいくつかの記事で書いてきました。


大きく分けると4段階に分けられるかと思います。
第一段階は、「産婆」が法律で定められる以前です。出産介助を見よう見まねで経験を積んだ無資格者のみの時代です。


それが「旧産婆から近代産婆」で書いたように、1874(明治7)年の「医制」制定で初めて法律で認められた産婆が登場します。これが第二段階です。


ただし、この産婆は系統的な教育を受けた資格ではなくそれまでの経験から「医学的知識を学んだ40歳以上の産婆」という経過措置です。


その後1899(明治32)年にようやく産婆規則ができて、産婆教育を受けた者に産婆資格が与えられる時代に入ります。これが第三段階です。
ここまでの過程では、産婆と産科医の業務内容の差を明確にしたこと、呪術的なものあるいはケガレ思想と決別して衛生思想の普及を図ること、そのために明確な資格とされたことに大きな意味があったといえるでしょう。


ただ戦前の日本の医療体制や経済状態から、しばらくは無資格者、経過措置の産婆、産婆規則による産婆の3種類が社会の中に混在していたのだと思います。


戦後、産婆は名称の変化とともに大きく変化します。
1948(昭和23)年の保健婦助産婦看護婦法によって、看護師の資格を持った上で助産師の資格が与えられるものに変わりました。
これが第4段階です。


ただし、しばらくはそれまでの看護婦資格をもたない産婆も経過措置として病院でも働くことが認められたようです。


「近代産婆から助産婦へ」で紹介したように、1961(昭和36)年、つまり私が生まれた頃まで日本の出産の場には無資格の取り上げ婆がいたのですから、戦後しばらくは無資格者、旧産婆、そして助産婦が混在している時代がありました。


<旧資格から新資格へ、その背後にある女性の状況>



旧資格から新資格へと変化するためには、どうしても旧資格者にどのように対応するかという問題が出てきます。


すでに旧資格をもっている人を、もう一度教育なり研修なりを受けさせて一気に新資格へと変えるというのは、なかなか簡単にはいかないことなのだろうと思います。
旧資格でも臨床で実務経験を積んできた人から、資格はあるけれども実務経験がほとんどない人までそのレベルは一様ではないからです。


こうして臨床の現場は小学校卒や中卒、そして現在のような大卒という幅広い学歴のバックグラウンドを持つ人で構成されることになるわけですが、その学歴と実務経験やその個人の能力とはまた別の話です。


たとえば、「階層を越える手段」で紹介した産婆さんのように現在90歳半ばになる方たちは、産婆になった当時の条件は「小学校卒業程度」の教育でした。
当時の女性にすれば、小学校を卒業することも誇れる時代であったことがその本を読むとわかります。


同じように、現在70代前後で現役で働いていらっしゃる准看護婦さんの多くは、戦後すぐに「中学校卒業」で准看護学校に進学すること自体が優秀であったり誇れることでもあったのではないかと推測しています。



看護職の資格名ひとつをとっても、そこには日本の医療や社会の変化によって同じものを指しているわけではないことを知ることは大事だと思います。


旧資格から新資格への移り変わりとともに、そこにはそれぞれのその仕事への思いの差がグラデュエーションを描いて変化していることを。




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