境界線のあれこれ 40 <専門学校が学歴と認められ始めた時代>

私は高校卒業後に看護専門学校助産学校を卒業しましたが、なぜだかつい最近までこちらの記事に書いたように「私の最終学歴は高校」だと思い込んでいました。


「専門学校」は学歴には含まれないものと思っていたのです。


今までは教育制度の歴史もほとんど関心がなかったのですが、最近いろいろと検索していて中央教育審議会が平成11年に出した「初等中等教育との接続の改善について(中間報告)」の第一章第一節に、以下のように書かれていることを見つけました。

昭和51年には、専修学校専門課程(専門学校)が新たに高等教育機関として位置づけられることとなった。

1976(昭和51)年といえば、私が高校生の頃です。
専門学校は高等教育機関ではないという私の勘違いは、この時代の雰囲気からきたものだったのかもしれません。


<学歴をどのように認識するのか>


大学新聞の「学歴入門 真実と対応策」の「学歴の認識と影響」
の中で、橘木俊詔氏は以下のように書いています。

人々が学歴という言葉を聞いたとき、思い浮かべる内容には次の二つがある。第一は、中学・高校・短大・大学、大学院、あるいは専門学校というように、どの段階の学校まで進学したかという点。第二はどの学校を卒業したのか、もう少し具体的には、名門校か非名門校か、あるいは有名校か非有名校かということである。

学校の意味はどの段階の学校まで進学したかによって思いが異なる。中学や高校で終えた人と、大学まで進学した人との間に感じる響きは異なる

橘木氏は「大学に進学していないという負い目」と表現していますが、中学・高校で終えた人と大学の「間」は書かれていますが、専門学校を選択した人については書かれていません。


学歴に関しては「負い目」というよりは、高校卒業後の私の4年間の教育はあってなかったようなものになっているような、なんだか宙ぶらりんなものに感じてきました。


<職業の専門教育課程>


私が高校生の頃に専門学校として思い浮かべたのは、看護婦や臨床検査技師、歯科衛生士といった医療関連、それから美容師・理容師、あと栄養士(当時はまだ管理栄養士資格はありませんでした)・調理師などでしょうか。


当時に比べて、現在は驚くほど多種多様な専門学校があります。


おそらくどの学校を覗いてみても、「ひとつの仕事はこんなに奥が深いのか」と思うような知識や技術を系統的に教育しているのではないかと思います。


そしてそこでの教育は、あくまでも基本的な知識と技術の習得にすぎません。


ベナーの5段階達人とは何か書いたように、そのあと何十年もかけて専門職として完成形に近づいていきます。


昭和51年に専門学校が高等教育機関として認められたあたりから、世の中の職業も複雑多岐にわたり、その中で専門性を磨いてきた人たちが次の世代に自分たちの経験に基づいた知識や技術を系統的に伝えるシステムをつくりあげてきたのだろうと思います。


そう考えると、専門職を育てる専門学校というのは古くからあるようで新たな時代に入ったように思えるのです。


看護職はこうした専門職教育の先駆け的な存在だったのに、自らがその経験に誇りを持てずに「大学化」が目的になってしまった間に、他分野では専門職教育の方向性が深さを伴って広がり、存在意義が認められてきたのではないかと思います。


大学に入ってじっくり考える人がいてもいいし、早く専門職業についてその経験を積みたい人がいてもよいと思います。
それだけのことではないかと思うようになりました。


自分の仕事に誇りが持てるいうのは、そういうことではないかと思います。




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