記憶についてのあれこれ 1  <父と認知症>

今から10年ちょっと前のことでした。


父から一週間の間に2通も3通も手紙が来たことがありました。
内容は親が子を心配しているものでしたが、そこまで心配されることもしていないのにしつこいほど同じような手紙を寄越してきたことへの怒りを抑えながら、自分なりに考えて生きていると返信をしたのでした。


今よりはまだ認知症について知られていなかった時期でしたが、少なくとも私は看護職で高齢者にも関わったことがあったのですから、その時に父の変化にすぐに気づくべきでした。


それから1ヶ月ほどした頃でしたか。
父のそばで生活をしていた母が、やはり何かおかしいと感じて専門病院へ連れて行きました。


母が早く対応したことと、当時はまだ少なかった認知症専門病院の経験豊かなスタッフの方々に出会えたお陰で、父は今に至るまで本当に父のそれまでの人生を大切にしてくださるサポートを受けられていると思います。


最初は、お嫁さんや孫が誰なのかわからなくなったようです。
私のことは比較的覚えてくれていたのですが、ここ1年ほどで「自分の妹」になったようです。
娘の私は、父の記憶からは消えていきました。


父が認知症と診断された当初は疾患に合わせて生活をどう立て直していくのかについては不安がありましたが、父が認知症であるという現実を受け入れることはそれほど難しいことではありませんでした。


それはおそらく看護職の経験が活かされて、親という見方ではなく、もっと客観的に仕事で出会う患者さんの一人に対応するように気持ちを切り替えられた部分が大きかったのではないかと思います。


対して、母は自分のパートナーの生活能力がどんどんと低下していく現実を受け止められなくて、苛立ちを父にぶつけていました。
それは当然の反応だと思います。


そして私は、父が私を妹だと思えばそれに合わせて適当に演技をすることも苦ではないのですが、母や他の兄弟はそういうことは父を騙しているような気持ちになるのか難しいようです。


父が生活をしているグループホームに会いに行くと、最近では妹に徹して父から昔話を聞きだしています。


父が小学生だった頃や青年期の記憶がふと思い出されるようで、父はそんなことを考え、そんな経験をしていたのかと知らなかったことがたくさんあります。


私は思春期以降、考え方も生き方も違う存在として、父とはとても距離を置いて生きていました。
認知症になった父と再び近づくことで、そのわずかな記憶から、父への人としての敬愛の気持ちが湧き上がってくるようになりました。


もっと話を聞いてみたい。
父が何を考え、どのように生きてきたのか知りたい。
同じ話を何度繰り返されてもかまわない。


そう思うのですが、記憶を辿っていくことは父にとっては「忘れた記憶の存在」を認識させることでもあるのでしょう。
私との会話で何か思い出せないことがあると、不安が高まって表情が固くなります。


聞きたいことはたくさんあるのですが、「覚えているかどうか」を試されているかのように父が感じないように配慮が大事です。
疲れさせてしまわないように忘れていく不安を抱かせないように、1時間ぐらい話をするのが限度のようです。


記憶についてのあれこれ、不定期になると思いますが書いてみたいと思います。





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