入院直後から「在宅か、施設か」の選択を迫られる

半身麻痺という予想もしない結果が出てしまいましたが、心臓手術は成功したようで母のひどい不整脈疲労感、あるいは息切れ・動悸はよくなりました。
こうした症状が強かった時期の「死への不安感」から母は解放されたようで、手術を受けてよかったと思いました。


ただ、自宅へ戻ることしか考えていなかった母自身も私たち家族も、今後の生活の場をどうするのかすぐに結論を出す必要に迫られました。


しかも、リハビリ専門病院に入院したその日からでした。
「入院はおよそ3ヶ月なので、退院後は自宅か施設か決めてください」と。


<何も見通しがたたないうちに在宅か施設かの選択>


たしかに早めに準備が必要とは思いますが、まだリハビリ専門医やリハビリスタッフとも一度も会っていない時点で、退院のスケジュールが先に決められていることに驚きました。


どれくらい母のADLが戻るのか、どう考えても3ヶ月ですぐに自宅で生活できる状態ではありません。


自宅に戻るとしたら車椅子が使えるように実家のバリアフリーのための大工事が必要になりますが、すぐに始めても3ヶ月で終わるはずはないので、一旦、またどこかの病院か介護施設に移って待機する必要があります。
また、母を見守るために私か兄弟が仕事を辞める必要がでてきます。



半身麻痺という考えてもいなかった状態になって精神的に落ち込んでいる母を支えるために、また新幹線を使って週に2〜3回の面会に行きながら、退院後の施設を探す日々が始りました。


母の残された人生の日々をどこでどう過ごすのか。
それを決めるには、あまりに時間が少なすぎました。


<自宅か施設かは考えていたけれど>


今までこのような状況になることを考えていなかったわけではありません。


むしろ、母だけで生活を維持できなくなった時にどうしたいのか、まず母自身が考えるように以前からさりげなく背中を押してきました。


年をとるというのは、こういう大事なことを自分で決められなくなったり、先延ばしにしていくことでもあるかもしれません。


特に手術が決まった後には、いくつか老健介護施設への入所も視野に入れて準備してきました。
母も何がなんでも自宅でというわけではなく、施設への入所も悪いものではないかもしれないと思うようになっていました。


というのも、母の手術に備えて父の生活の場をグループホームに移したことで、たくさんの介護士さんやヘルパーさんに見守られている父の生活の場を見ていたからです。


ところが現実は、退院後の受け皿があまりに少なすぎました。


<「自宅か施設か」の選択をいつも迫られることに>



急性期の循環器専門病院からようやくリハビリ病院に転院できてホッとする暇もなく、また面会にいくたびに受け持ち看護師さんから「自宅か施設か決まりましたか」と聞かれることになりました。


まだ20代前半の看護師さんでした。
きっと受け持ち患者さんの看護計画を立てなければいけないのでしょう。
先輩看護師に「早く家族の意向を確認しなさい」とでも言われているのだろうと状況はわかりましたから、「施設の方向で今探しています」と返事を繰り返していました。



母のADLがそれほど改善されなくても、とりあえず施設か自宅かの答えはださなければなりません。
ただ、それはこのリハビリ病院に入院中に何も起こらず無事に過ごせた場合のことです。


もし心臓の調子が悪くなってまた急性期病院へ転院になったら・・・。
転院だけでも気が遠くなりそうなのに、また入院直後から次の亜急性期あるいはリハビリ病院をさがさなければいけません。


もし無事にリハビリ病院から自宅に生活の場を移しても、高齢者ですからいつなにが起きるかわかりません。
その入院のたびに、今回のような自宅か施設かの判断を求められ転院先をさがさなければならないとなれば、私たち家族も心身ともに限界に達することと思います。


そして母にとっても終の棲家と思える場所がなくなることは、何よりも不安なことではないかと思います。


終の棲家は自宅とは限りません。


たとえ病院に入院する必要がでても、退院後の「自宅か施設か」の選択をしなくて済むのであれば、介護施設はとても安心感のある終の棲家になるはずだとつくづく思ったのでした。
そこに帰る場所があるのですから。