「在宅は幸せ」というのは価値観のひとつにすぎない

母は最終的に介護付有料老人ホームに生活の場を移しました。


自宅に戻りたいという気持ちがあることも痛いほどわかっていました。ですから母自身がどうしたいのか尋ねたのですが、最後まで母は「どうしたらよいかわからない」と決心を保留にしていました。


兄弟は医療や介護をよく知らないので施設入所への抵抗があり、最初の頃は「俺が見に行くから(自宅で)」と非現実的な答えをしていました。


認知症になった父に苛立っていた母の姿を見て、実家に帰ることが少なくなった兄弟です。
兄弟自身がどれだけ、日常生活が一人でできなくなった母を介護することに耐えられるかどうか、おそらくイメージもできていないのだと思います。
「介護していた息子による老親の虐待、殺害」に兄弟を追い詰めたくはありません。


母は看護職の私が仕事を辞めて世話をしてくれることを漠然と期待していたのだと思います。


看護の対象者に対して、共感的な態度でプロとして仕事をしてきた自負があります。
でも、それは勤務時間内であり、また仕事から解放される休日が必ずあるからできるのです。


24時間、いつまで続くのか先の見えない介護や看護を、家族に負わせることはあまりに過酷だと私は考えてきました。
それは楽しい成長や夢のある育児にしても、誰か一人が負わなければいけない状況と言うのはつらいものになりますからね。


父に苛立ちをぶつけた母の立場に、私もきっとなると思います。
「看護職でありながら」と自分を責めながらも、おそらく優しくはできなくなることでしょう。


また介護される側というのは、絶対的に介護する側に依存した立場に置かれます。
どんなに苛立ちをぶつけられても、どんなにひどい扱いを受けても、家族であればなおさら文句を言えません。


もちろん家族の手もあり、経済的にも問題がなく条件がそろっていれば、私は親を在宅で介護したいと思う方がいてもよいと思います。


でも「在宅介護のほうが幸せ」というのは、価値観のひとつに過ぎないと思います。


<価値観を押し付けない看護は大事>


前回の記事に書いたように、いつまた急性期病院に入院し、そのたびに短期間で自宅へ帰るか施設かの選択を迫られることがあるかわかりません。
もう二度とあの体験したくないと思うほど、現実にはその受け皿となる施設が不足しています。


そして、自宅で誰かが仕事を辞めてまで介護をするとなれば、親が旅立ったときに残されるのは介護した家族の経済的な困窮です。


親の年金を使って介護をしているうちは生活もなんとかできるかもしれませんが、その間、収入もなく年金や健康保険にも加入できないわけですから、自分自身や兄弟の老後は貧困へまっしぐらです。


最終的には、私が母を介護付有料老人ホームに入れることを押し切りました。


選択のポイントは24時間看護師がいること、提携病院に入院できて退院後も終身のケアを受けられることでした。


母の終の棲家として、一番優先されるのはそこではないかと思いました。


家族内で気持ちをすり合わせて母の退院後を決めなければいけない時に、一番心をくじかれたのは「自宅に帰るのが一番幸せですよね」という看護師さんの一言でした。


なんとなく言ったのだと思います。


産科でも「自然なお産がいいですよね」とか「母乳が一番ですよね」って、ポロッと言いますからね。


言われて初めて「それは価値観の一つに過ぎない」と思えることを、看護の世界は言ってしまうのだと反省しました。