2008年10月21日開催の日本看護協会プレスセミナーでの「なぜ4年制大学化が必要なのか 今こそ看護基礎教育改革を」という資料を、国民医療研究所(現日本医療総合研究所)のHPで読むことができます。
このあたりの記事から書いた「助産師教育ニュースレター」でも、看護や助産の上層部というのはなんだか現場の感覚とはかけ離れた方向へ大きく動かす力を持っているのだとようやく見えてきたので、この資料の内容も驚きはしないのですが、現実の矛盾をなんとか自分達の推し進めてきた方向へ無理やりあわせようとしているように読めます。
最後の部分が看護教育を4年制にする理由のようですが、以下のように書かれています。
迫りくる超少子高齢化を迎え着実な看護師養成・確保を
看護基礎教育の抜本的改革で安全な医療提供の保障を
少子化で看護職を選択する人が減少するのであれば、むしろ大学化で入学のハードルをあげるよりも現在のように多様なバックグラウンドを持つ人が看護学校に入学できる、門戸の広さの方が効果的ではないかと思います。
それ以前に、大量に離職している人たちを臨床に呼び戻すための対策が大事ではないでしょうか。
なぜ辞めるのか。なぜ再び看護の現場に戻らないのか。
そのあたりではないかと思います。
また、高齢化に対しては、看護師が担っていたケアを介護職とのスキルミクスで対応する方向が進めば看護職の需要は減る可能性もあるのではないでしょうか。
<「教育の不足」は大学も同じ>
冒頭の資料の15,16ページに「教育の不足」として、以下のような部分があります。
「看護師3年課程教育時間の激減」
専門科目の増加により、1科目あたりの教育時間が激減
求められる資質の養成には、教育時間が圧倒的に不足
「教員も教育年限の不足を認識」
約7割の養成所教員が、教育年限の不足を認識
現行の教育では、十分な知識や技術の養成は困難と回答
まるで看護専門学校(養成所)だけが教育時間が不足しているかのような表現ですが、前回の記事に書いたように、大学の4年間もこの看護師3年にさらに保健師の教育課程があります。
また「教育時間の激減」と言っても、15ページの表を見れば以前の3年過程に比べて500時間ぐらい少なくなった分、時間にゆとりはあるのではないでしょうか?
3年で足りないのであれば、大学で保健師、さらに助産師までとらせるカリキュラムをまず見直さなければいけないはずです。
何か、養成所の教育を貶めるような詭弁だと感じてしまいます。
<大学教育なら医療の安全性が高まる?>
この資料の中で最も納得がいかなかったのが、19ページの以下の内容です。
教育の不足「看護師の教育水準は患者生命に直結」
院内の看護師全体の教育水準の向上は、患者死亡の減少をもたらす
参考資料としてJAMA(The journal of the American Medical Association)の論文が使われています。
「学士卒以上の看護師割合」と「患者1,000人あたりの死亡者数」を比較したものです。
これに関して厚労省の「コメディカル不足に関して 〜看護師の人数と教育〜」(2008年)という資料の、「資料4」では以下のような説明があります。
学士または修士をもつ看護師割合と、患者死亡率および重症合併症患者死亡率とは、統計学的に有意な相関がある。看護師の経験年数とは相関がない。
医療制度が異なるアメリカの、しかも「相関関係がある」だけの論文をひとつ提示したところで、「それがどうした」と言うことにすぎません。
こちらの記事で紹介したようなアメリカの医療の現場で急性期のみを集約的に対応するのであれば、看護職の学歴というよりも他職種のマンパワーによって救命率が上がっていることは容易に想像できます。
また、そうしたアメリカだからこそこのような研究はRN(正看護師)解雇の理由に使われているのではないでしょうか。
相関関係と因果関係についてはこちらの記事でも書きましたが、日本の医療システムで因果関係まで研究されてもいないことを、大学化の根拠にしていることに看護協会の内部では誰からも異議はなかったのでしょうか。
そして、そういう視線こそが臨床の現場を支えてきた多くの専門学校卒の看護師、まだ大学での看護教育という選択のなかった時代に看護師になり日本の医療を支えてきた人たちの心をくじかせるものであることに、もう少し配慮が必要ではないかと思います。
どうして、このように臨床の現実の問題とは矛盾した理由で大学化が進められているのでしょうか。
「看護基礎教育の大学化」まとめはこちら。