次の世代へ引き継ぐ

最近、あとどれくらい自分は働くのだろうと考えることが多くなる年代になりました。


20代の頃は海外医療救援に参加したり、途上国の母子保健に関心が出て助産師になって、自分の未来は洋々としているような自信に満ちた時期でした。


30代は助産師としての臨床がおもしろく、自分自身の知識や技術を磨くことに集中していました。
分娩介助もしたくてたまらなかったし、授乳支援にも積極的に自分の経験を広げようと、今考えるとがむしゃらのような時期でしたし、やはり何だか自分はできるという自信に支えられていました。


40代はまだ直接、自分が相手(産婦さんや赤ちゃん)のケアをする主体になりたいという気持ちが強い反面、難しい経験は他のスタッフも関わって自信をつけてもらえるように、自分が少し影にまわりつつ目的が達成されるような配慮や全体を見渡せる力が少しずつでてきたように思います。


50代になって、産婦さんや新生児ひとりひとりの個別性が見えてきて、今ここでこういう関わり方をすればよいだろうとか、あるいは退院までの変化や関わるスタッフのやり方なども想定してゴールが見えてくるようになりました。
あるいは、ご家族との関係も考えたうえで、1ヵ月後、3ヵ月後ぐらいまでに必要なこともみえるようになってきました。


自分がケアの主体にならなくても、「今、ここでこれを言っておけば、あるいはこのケアをしておけば」他のスタッフのケアの行き届かない部分を補足できるだろうという見通しを立てられることに、とても充実感があります。
そして、次に同じような状況ではスタッフがきちんと対応できるようになっていることも。


以前は「ふぃっしゅさんに関わってもらってうれしかった」という自分への直接の謝辞がうれしいものでしたが、今はそれよりもクリニックのチームワークを感じてもらえたらなんともいえない満ち足りた気持ちになります。


今が仕事のおもしろさのピークなのかもしれない、と思います。
そして、そういうピークというのは短い期間なのだと。


<競泳選手にとって泳ぎ続けること>


今回の競泳日本選手権では、長年、決勝や準決勝に進んでいながら表彰台には届かなかった選手が何人もメダルをとりました。
初日の福田智代選手も背泳ぎや個人メドレーで頑張ってきた選手ですが、50mバタフライで優勝し、涙のインタビューにこちらも胸がつまりました。


そしてずっと応援していた選手の一人、古賀淳也選手が50m背泳ぎで優勝、アジア大会3連覇に挑みます。


10年ほど前に競泳大会を観に行き始めた頃は、選手の大半が高校生・大学生でした。社会人というのはほんとうに少なかった記憶があります。
プロでもない、アマチュアでもない競泳を社会人になっても続けるために、スポンサーや泳ぐ環境を探すことは並大抵のことではないかと思います。


まだまだ世界を目指していける能力がある選手が何人も、この社会人になる時期に競泳を離れていったことでしょう。


この10年で、決勝に進む選手に20代後半から30代が増えました。


そして、以前ならオリンピックや世界水泳でメダルをとれば、その栄華の時期をもって引退していたのではないかと思いますが、北島選手や松田選手のように、そこから何度も挑戦していく選手が増えました。
メダリストの称号もなげうって、たとえ表彰台に届かなくても挑戦し続けています。


応援している選手が若い世代に抜かれていくと、「あぁ、もうピークはすぎたのかな。引退なのかな」と以前は思っていました。


最近は、今までの競泳の世界ではいなかった達人級の人たちが出現したのではないかと思うようになりました。


予選から決勝までのレース展開に体と心を集中させ、周囲の選手の動きもかなり見えながら泳いでいるように見えます。
経験のなせる業のように見えるレースもありますし、むしろ若い世代を奮い立てる役に徹しているのではないかと思える時もあります。


何のために挑戦しているのだろうと考えたときに、水と体が一体になって会心の泳ぎができたときの感覚、それを求めているのではないかと思うのです。


若い世代のおもしろいように記録が伸びる感覚でもなく、勝敗でもなく、体に覚えこませてきた経験が集中力とともに最高の泳ぎになる一瞬。


きっと引退を意識しながら、今の短いピークを楽しむ、そんな気持ちなのかなと思いました。


松田丈志選手が次のオリンピックを目指すことを決めたようです。
自由形とバタフライで、どれだけ多くの選手が松田選手の背中を追ってきたことでしょう。


次の世代を育て、そして自身の最高の泳ぎを目指す。
心からエールをおくりたいと思います。