私自身は産科診療所で働いているので、おそらくこのまま産科で働き続けて終わることになると思います。
ところが日本の病院というのは、長い間、看護職にオールマイティを求めてきました。
突然、違う病棟に配属されてもすぐに働くことができるかのように。
総合病院に勤務している助産師でも、2004年以降、その施設が分娩を取り扱わなくなれば看護師として全く畑の違う病棟で働くことが多くなったようです。
「看護師の資格があるのだから、どの病棟でも働けるはずでしょ」と。
あるいは看護師さんたちは、さらに本人の続けたい分野の希望がかなうことが少なく、3〜4年もすると有無を言わせずに配置換えになります。
小児科病棟が自分には合っていると思っても、他の部署へとまわされていきます。
「看護師の資格があるのだから、どの科でも働けて当然でしょ」と。
ひとつの部署で3〜4年目といえば、こちらの記事に書いたように、その病棟で中堅から達人級の看護ができ始める一番脂がのってきた時期とも言えます。
そういう時期に本人の意向に関係なく辞令が出て、他の病棟で新人のように仕事を覚えていくことになります。
それでもたとえば小児看護をもっと続けたいと思う人は泣く泣く退職をして、別の施設でまた仕事に慣れることからはじめなければなりません。
人材の無駄遣いが多いと感じてきましたし、看護師ひとりひとりのキャリアパスを考えたときに、じっくり同じ科で経験を積む人がいてもいいし、他科に関心が出たら方向を変えてみることもできるといった柔軟な体制は不可能なのだろうかと疑問に思い続けています。
たぶん多くの看護職は、専門看護師とか認定看護師といったキャリアや、医師に代わって一部の医療行為までできるナースプラクティッショナーのような資格を求めているのではなく、看護の中のひとつの専門分野で自分の経験を積める安定した働き場所を求めているのではないでしょうか。
<「指定規則」の縛りというとらえ方>
さて、なぜこのような話を書いたかと言うと、看護基礎教育の大学化の議論でしばしば目にする「指定規則が縛りになって、各大学の独自性のある教育が妨げられている」という意見を目にしたからです。
「指定規則」というのは、文部省・厚労省が定めた「保健師助産師看護師学校養成所規則」というもので、当然、国家資格を得るために必要な授業内容などが決められています。
教育の現場で感じる「縛り」が具体的にどのようなものかは私にはわからないのですが、看護師を育てるための大学の独自性とは何なのだろうと考えています。
反対に新人を受け入れる施設側からすれば、新人看護師に求めるのは「全国どの施設でも通用する知識と技術」を学んでいることが第一ではないかと思います。
出身校によって独自の考え方を強く持って卒業していると、受け入れ側は困ります。
たとえば、こちらで紹介したように、45歳初産を自宅分娩させたり、前回帝王切開の産婦さんを引き止めて助産所で分娩させることを肯定的にとらえて学生に教えたり、こちらのように「卒業と同時に開業でき」「助産学生は会陰切開・縫合術を(法的には認められていないが)既成事実として習得させる」といった考えを独自性として教えるようでは本当に困ります。
まずは各科ともに全国的に標準的な看護手順を作成し、それをもとに基礎的なことを学生に教える。
卒業したら、医師と同じように2年ほどは研修期間として新人を育てる。
実際に働いてみてから、自分に合った分野へ本格的に働き始めて独自性を高めていく。
そんなシステムが現実には求められているのではないかと思います。
看護系大学に求められている独自性というのは、本当にあるのでしょうか?
「看護基礎教育の大学化」まとめはこちら。