1990年代後半でしょうか、看護職のリアリティショックという言葉が使われるようになったのは。
「新人看護師のリアリティショックの実態と類型化の試み」という論文が公開されていました。
その「問題の所在」(p.31)では、リアリティショックについて以下のように説明されています。
リアリティショックは、学生から社会人への移行に沿って生じる現象である。
Hall(1976)は、リアリティショックを、「高い期待と実際の職務での失望させるような経験との衝突」であると表現し、リアリティショックによって自己イメージや態度、大望やモチベーションのすべてがネガティブな方向に大きく変化する可能性を指摘している。
この言葉を初めて耳にした当時は、社会全般の仕事に対してよりは、看護職に関して問題視されていた印象がありました。
最近は、社会のどの仕事でも起こりうるという受け止め方になってきたようです。
weblioの「リアリティショック」の説明がわかりやすいかもしれません。
「リアリティ・ショック」とは、現実と理想のギャップに衝撃を受けること。企業においては新たに職に就いた人材が、事前に思い描いていた仕事や職場環境のイメージと、実際現場で経験したこととの違いを消化しきれず、不安や幻滅、喪失感などを強め、ときに離職にまでいたる問題。
まさに、「理想と現実に折り合いをつける」問題と言えるのかもしれません。
リアリティショックに関する専門的な議論はよく知らないので、勝手に解釈を広げることは控えた方がよいのですが、この定義を押さえた上で社会人になることだけでなく、出産や育児に関する問題でもリアリティショックという切り口で考えられる面があるように思います。
たとえば「自然なお産」と「完全母乳」、それは少し時期をずらして産む人たちの中に広がったものですが、リアリティショックが共通点としてあるのではないか。
1980年代頃までを振り返って、私にはそう感じられるのです。
反対に、1990年頃に看護職のリアリティショックという言葉が広がった頃に、この切り口で「自然なお産」を周産期関係者が冷静に読み取っていたら、お母さんたちを「完全母乳」という言葉で追い詰めなくても済んだのではないかと。
あくまでも私個人の考え方ですが、しばらくそんなことを考えてみようと思います。
「出産・育児とリアリティショック」まとめはこちら。