出産・育児の時期の精神的な変動について記事はできているのですが、ピアスについて調べていたらどんどん脱線していきそうです。
1980年代半ばに私がピアスを入れて日本に戻ってきた頃には、都内でピアスを売っている店はまだ限られていて、デザインもまだまだ少なかったたような記憶があります。
1970年代の、長いスカートでつぶしたかばんをもっていたツッパリ学生もまだピアスはしていなかったような記憶があります。
この記憶は正しかったのかと検索していたら、こんな論文がありました。
副題にあるように、新聞や雑誌の中でピアスがどのように取り上げられてきたかがわかります。
<日本ではいつごろピアスが広がり始めたのか>
「アクセサリー流行の軌跡ー36年間の街頭調査から」という論文では、ピアスに先駆けてイヤリングが1960年代から広がり始めたことが書かれています。
アクセサリーをつける習慣自体、一般的には1960年代ごろから始った。とりわけイヤリングは1960年には採用者が全体の約2%であったが、1996年には全体の約33%の人が採用していたという結果が報告されている。(p.141)
昭和ひとケタ生まれの母もイヤリングを持っていましたが、わずらわしいとあまりつけたことはなかったように記憶しています。
1970年代終わりに看護学校に進学したときに、私も「ちょっと大人になった気分」でイヤリングをいくつか買いました。ただ、耳たぶにネジで締め付けて固定するので耳が痛いし、気づくと片方が落ちてなくなることもしばしばありました。
ピアスの広がりについては以下のように書かれています。
1991年には17%であった採用率が、2000年には33%とほぼ倍増しており、20代女性においては56%と半数を超えている。(p.141)
1972年に朝日新聞で「耳に穴あけるなんて」という記事があったように、日本では耳に恒久的な穴をあけることは受け入れにくいものだったようです。
私も、ピアスをあけて帰国したら「親にもらった体に穴をあけるなんて・・・」とずいぶん嘆かれました。
1980年代半ばになるとピアスに関する記事も増え、「1987年には『ピアス人口の伸びと共にファッション化が進む』」(p.141)と好意的な記事が出始めた反面、1990年代でもまだ「耳たぶに穴をあけることを過激な行為と捉える風潮があった」(p.143)とあります。
いずれにしても、ピアスが日本に広がりだしたのは1980年代と見てよいようです。
<中高生とピアス>
中高生のピアスが「不良」と結び付けられたのは、1990年代半ばと案外最近のことのようです。
4.1.7 中高生のピアス採用ー校則に対する逸脱の象徴としてのピアス
ピアシング技術が安定し、若い女性のみならず幅広い年齢層にピアスが普及すると、中高生のピアスが茶髪と並んで、校則との対立問題として社会問題に発展した。(p.145)
ピアスは「高校生の事件多発!いまどきの不良スタイルはロンゲ茶髪にピアス」(『女性自身』1996.8.27:66)というように、しばしば中高生の逸脱スタイルの象徴として捉えられていた。(p.145)
なんだかこちらの記事のゲーム脳やカンガルーケアの効果と同じような、大人の希望がかなえさせるための答えにピアスが使われたように思えてしまいます。
いずれにしても1970年代のツッパリの間にまだピアスは広がっていなかった記憶は間違ってはいなかったようです。
<中高年のピアスー自分探し>
その反面、同じ頃に中高年女性にもピアスが広がりだしたことが書かれています。
4.1.5 中高年女性のピアス採用ー若さの象徴としてのピアス
1990年代後半には40代、50代の母親層にもピアスの普及が及んだ。
私もいよいよ四十代。子育てもひと段落し、新たに自分探しを始めなくてはならない。人生の節目に、何か弾みをつけたりーそれが一番の動機だったような気がする。(p.144)
たかがピアス、されどピアス。
耳に穴をあけることは、日本の社会では決意をもって飛び出したいというメタファーなのかもしれませんね。
特に女性には。
もう少し、ピアスについて続きます。
「記憶についてのあれこれ」まとめはこちら。