私は30年ほど前に運転免許を取りましたが、今は身分証明書代わりです。
当時の教習所では、まだオートマティック車の教習はありませんでした。
都内の教習所に通っていたので、路上教習は主要幹線道路を走ることもありました。
途中で一度ダンプカーに接触しそうになって、教官共々ヒヤリとしたことがありましたが、無事に運転免許を得ることができました。
しかも、「なかなか上手い」と誉めていただきました。
運転免許を取った翌日、本当に翌日に、実家に帰って両親を乗せて嬉々として高速道路を走り都内まで運転しました。
路上教習では高速道路の実習はなかったので、父親に横から教わりながら運転しました。
我ながらあっぱれな運転だったと思うのですが、両親がぼそっと「血圧が上がる・・・」と言ったのが聞こえました。
そのせいではなく、それ以降ずっと都内の沿線に住むことがほとんどだったので車を持つ必要もないまま過ぎました。
ですから、私のゴールドの運転免許の運転歴は、実はあの親を乗せて運転した日の一日だけなのです。
もう次の更新は止めようかなと考えているところです。
<父の運転免許証>
父は戦後の日本の中では、割と早い時期から運転免許を持っていたのではないかと思います。
私が3〜4歳ごろ、1960年代の初めには車を購入して運転していた記憶があります。
警察庁の「運転免許保有者数の年別推移」(平成24年)には1966(昭和44)年からの人数しか掲載されていないのですが、1966年に約2,200万人だったものが2012(平成24)年には約8,100万人と、成人の大半が免許を所有している時代のようです。
75歳で免許返納するまで、父は無事故の安全運転でした。
残念ながら、無違反は達成できませんでした。
もうじき免許返納という頃になって、制限速度をわずかに超えたところをちょうど取締りに引っかかってしまいました。
その無念さはいかほどかと思うほどの落胆ぶりでした。
いつも父は制限速度を越えない運転技術を誇っていたし、実際にオーバーすることのない慎重な運転でした。
魔が差したか、手元の感覚が狂ったのか。
<母の運転免許証>
さて、私の初めての運転に「血圧が上がる」と言った母は、当時免許を持っていませんでした。
その数年後に、なんと今の私の年齢を超えた50代半ばで教習所に通い、運転を始めたのでした。
実家の近くは車がなければ買い物にも不自由をする地域でしたし、唯一の交通機関であるバスも利用者が激減して、本数が減っていきました。
年をとる事で通院の機会も増えることを予想して、免許をとろうと決心したようです。
それ以来、数年前に心臓手術で半身麻痺になる直前まで運転をしていました。
母は昔から地図を見ただけで、あるいは一度通っただけで目的地に到着できるほど方向感覚がすぐれていました。
いつも父の横に座って、人間ナビゲーターとして父から絶大な信頼を得ていました。
そして父の安全運転を間近でいつも見ていたためか、母の運転もまた70代のおばあさんの運転とは思えないほど安心して乗ることができました。
冬の雪道もなんのその、70代になってからは認知症になった父を助手席に乗せて、あちこちとドライブに行っていました。
運転免許証を取る前の母は、更年期障害と空の巣症候群でこちらが不安になるほど不安定でした。
免許を取って自分で車を運転するようになってから、戦中・戦後にやり残した青春を取り戻すかのように、音楽や英会話や海外旅行にまで積極的になりました。
そんな母のことを考えると、運転免許証返納はまだ早いかなとまた揺れるこの頃です。
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