行間を読む 14  <分娩直後の循環器系の変化>

お産直後の体がボロボロになったと感じるもう一つが、立ちくらみが起きやすかったり頭痛がするなどがあります。


健康な人でも、立ちくらみや頭痛があるとなんとなく不調で不安になりますし、自分の体への自信を失いそうになるのではないかと思います。


立ちくらみだけでなく、出産後半日ぐらいは起き上がったらそのまま意識消失ということも時々あります。


通常、産科施設ではどこでも、お産のあと最初は絶対に一人で歩きださないように、と説明しているのではないかと思います。


たとえば「新版 助産業務要覧 第2版」(日本看護協会出版会、2012年)の「褥婦のケア」には以下のように書かれています。

(1)初回歩行


帰室後4〜6時間後に、分娩様式、産道損傷状態、出血量、分娩所要時間などからアセスメントし、初回歩行可能か判断する。
血圧測定のうえ気分不快、尿意の有無を確認し、ベッド上座位になり、めまいなどなければ立ち上がらせる。(p.118)

そして、私の勤務先でも最初のトイレではお母さん達の側を離れないようにし、無事にベッドに戻ってこれたら「次からは自由に動いてください」と説明しています。


これだけ慎重に産後に歩き始める際に付き添っても、途中でふと表情が険しくなり、「あ、危ない」と感じた直後には褥婦さんが意識を失って倒れてしまうことはしばしば経験します。


なぜこのようなことが起きるかと言えば、産褥期の変化のひとつであり、上記の「助産師業務要覧」では以下のような記述があります。

産褥期とは、分娩が終了し妊娠・分娩に伴う母体の生理的変化が非妊時の状態に回復するまでの状態をいい、その期間は6〜8週間である。(p.117)

この「妊娠・分娩に伴う母体の生理的変化が非妊時の状態に回復する」という一文は、周産期関係者であれば当たり前の一言ではあるのですが、案外詳細を説明したものは見当たらないものです。


<心臓が2つから1つへの変化>


さて、産後のお母さん達というのはいろいろと忘却していく体内のシステムがあるのか、あるいは次から次へと説明されることが多くて混乱するのか、「初回歩行を一緒にするまでは絶対に一人では動き出さないでくださいね」という説明ではなかなか印象に残らないようです。
こちらが説明してもそれを忘れて歩き出し、意識を失ってしまう方がたまにいらっしゃいます。


「倒れる方もいらっしゃるので、絶対に一人では歩かないでくださいね」と脅しをかけても、歩き出して倒れます。


「説明されたことを忘れて勝手に動いてしまった」ことと、「大丈夫と思っていたのにいきなり意識を失った」ことで、また心身ともに落ち込むリアリティショックのひとつになります。


この産後の変化を、お母さん達を落ち込ませずに理解してもらうためにはどんな説明がよいかあれこれ考えて試してきました。
最近は、「今まで体の中に2つの心臓があったのに赤ちゃんが生まれたら1つになったわけなので、お母さん達の体は見た目ではよくわからないけれど急激な大きな変化があります。大丈夫と思って起き上がると、突然意識を失うこともあるので、絶対に一人では歩き出さないでくださいね」と説明しています。


自分で説明しながらも、「目の前の女性の体の中にはさっきまで心臓が2つあったのに、すごい変化だ」と毎回、人体の不思議に感動してしまいます。


<産後の循環器系の変化>


胎盤を介した胎児循環から新生児になったときの循環器系の劇的な変化に関しては、周産期医学関係の本であれば詳細な説明をすぐに見つけることができます。


ところが、この「心臓が2つから1つになる」お母さん側の変化については、ほとんどみつかりません。


たとえば1980年代終わり頃に私が助産婦学校で使用した「最新産科学ー正常編ー」(文光堂、昭和61年)は、医学部でも使われていたものらしいですが、その中でこの分娩直後の母体の循環器系の変化についての記載は以下の通りです。

4)循環器系
a)脈拍:健康褥婦の脈拍数は健常婦人と変わらないが、不安定で少しの運動、感動などで変動し易い。分娩直後には重労作のために一時頻脈になることがあるが、疲労の回復とともに平常に復する。しばしば徐脈を認めるが、これは産褥に特有というよりは、安静臥床、食物摂取の不足、多量の分泌物などによる。

徐脈の説明を読むと「え、こんな説明で大丈夫か」と現在では疑問に思う内容ですし、頻脈の理由も「分娩の重労作」と考えられていたようです。
子宮内の胎盤循環がなくなったことによる変化という視点は、まだ1980年代にはなかったのかもしれません。


その後も、この産後の循環器系の変化の全体像については探してもほとんど書かれているものを見た記憶がありませんでした。


2010年頃になると「周産期診療指針 2010」(『周産期医学』編集委員会編、東京医学社)の「産褥の一般管理」に以下のような記述があります。

1.生理学的変化
(前文略)
分娩時の出血量は正常で約500ml程度である。子宮収縮とそれに伴う拡張血管からの灌流により出産直後は循環血液量が維持されるが、多くの女性で通常は産褥一週間で利尿により循環血液量が減少し、循環血液量も非妊時近くのレベルにまで現象する。(p.455)

1980年代に比べると、格段に詳しい説明になっています。
これがわかるまでにどれだけの研究が積み重ねられたのだろうと思うと、ちょっと気が遠くなります。


そしてそれでもなお、「分娩が終了し妊娠・分娩に伴う母体の生理的変化が非妊時の状態に回復する」、その行間にはまだまだわかっていないことがたくさんあるということだと思います。






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