境界線のあれこれ 48 <会陰裂傷ー助産師の時代の変化>

1980年代半ばに東南アジアの難民キャンプで働いていた時に、カナダとオーストラリアから派遣されていたシスターの助産師と一緒に働く機会がありました。


私の業務とは無関係でしたが、自分自身の関心から分娩の外回りの介助を経験させてもらいました。



難民キャンプでは分娩時に医師は立会いません。
その助産師のシスターだけです。
「push! push!(いきんで!いきんで!)」と積極的にいきませて、赤ちゃんの頭が見え始めるとシスター自身でザックリ会陰切開を入れます。胎盤まで娩出すると、シスターがササッと(と当時の私には見えましたが)縫合して分娩終了です。


当時の私はまだ看護師の資格しか持っていなかったことと、学生時代は産科が苦手であまり授業内容を覚えていなかったので、会陰切開・縫合についてもまた助産師についてもほとんど知識がありませんでした。


「わーすごい!外国の助産師は自分で切開から縫合までできるんだ」と単純に驚きました。


1980年代初め、日本も先進国の仲間入りをしたという雰囲気が高まっていた時代ですから、これからは日本の助産師も会陰切開・縫合という医療行為まで許されている海外の助産師のようになるのかと漠然と思っていました。


それが実はこちらこちらで書いたように、「幻の助産師法案」を求める明治時代からの助産師の動きであることにようやく最近気づいたのでした。


そして助産師が会陰切開・縫合までできる国というのは、医師の診療を受ける機会が制限されている国でもあるということをはっきり理解できたのは、7〜8年前に「助産院は安全?」助産所についての議論に出会ってからでした。


まぁ普通に考えても、私と同程度の医療知識しかない人に縫合されるなんて私自身はちょっと勘弁と思いますけれどね。


<会陰切開への批判や見直しが高まった時代>


さて、私が「切開・縫合という医療行為ができる海外の助産師」をすごいと思っていた頃に、世界では反対に会陰切開への批判や見直しを求める声が高まっていたことを、助産師になった1980年代終りごろに知りました。


ですから、当時の日本の助産師の間では切開・縫合術まで助産師ができるように求める動きは影を潜めて、むしろ「縫合しなくてよいように裂傷のないお産」こそが助産師であるという雰囲気が広がっていました。


裂傷を起こさせないようにする技術、「会陰保護」について経験豊富な助産師に学ぼうということで本も何冊か出されました。


それが当時は風前の灯だった助産所が注目される原動力にもなりました。


たしかに、「初産婦でも傷をつくらない分娩介助技術」が書かれたものは教科書では学ぶことのない熟練の技であり、そのためのノウハウを惜しむことなく後輩に伝えようとしてくださったその開業助産師さんたちについては今でも尊敬の念を持っています。


ただし、当時50代以上の開業助産師さんたちは、「開業助産婦と嘱託医」で書いたように、医師を呼び縫合を依頼することは産婦側に高額の謝礼を支払わせる負担が発生するわけですから、できるだけ医師を呼ばなくて済むように会陰保護の技術を磨く必要がある時代を体験されていました。


また、ベビーブームまでの多産の時代を経験されていますから、分娩介助の経験数は現代の助産師とは比にならないものです。
ただ同時に、分娩中の胎児の安全を確実にモニターできる時代ではなかったので、「赤ン坊が死んでも非難されるような雰囲気ではなかった」わけです。


会陰に裂傷はできなかったけれど、もし分娩監視装置があれば早い時期に会陰切開をして娩出させていれば無事に生まれた赤ちゃんもいたのだろう・・・と思います。


<1990年代、できるだけ傷の少ないお産を>



1990年代は、助産師にとって会陰保護の技術を磨いて縫合が必要のないお産をすることがブームになった時代でした。


まだこの時点では、「医師のいないところで助産師だけで分娩介助するため」という雰囲気はあまりなくて、助産所を開設したいという助産師は一部のよほど強い何か信念をもった人に限られていました。


多くの助産師にとっては、「お産の傷が少ない方が産後お母さんが動きやすい」というごくごく当たり前の動機だったのではないかと思います。


ただ、会陰の傷を少なくするために時間をかけて会陰の伸展を待つことができる時代から、分娩監視装置によって胎児の状況がリアルタイムにわかる時代へとちょうど変わり始めました。
「胎児の安全性」を優先するのは当然で、会陰切開も増えることになりました。


<再び、「助産師に裂傷縫合を認めさせる」動きがよみがえる>


私が会陰保護のお手本にした当時50代以上の開業助産師さんたちは、まだ日本の女性のほとんどが10代後半から20代前半で初めての出産をしていた時代に分娩介助をしていました。


この年齢層というのは組織が柔らかいのか経産婦さんのように会陰も伸展するので、卒後数年ぐらいの技術でも傷がない分娩介助がけっこう可能でした。


ところが、できるだけ傷の少ないお産をという雰囲気が助産師の中に広がった1990年代は、反比例するかのように30代初産が急増したのでした。
人類始って以来、産婆や助産師が初めて経験する30代初産の時代ともいえます。


今までの会陰保護の技術では太刀打ちできない変化なのかもしれません。


2000年代に入ると、「傷のないお産」の技術よりも「裂傷は助産師に縫合させろ」という動きが復活しました。


2010年に出版された「正常分娩の助産術 トラブルへの対応と会陰裂傷縫合」の「助産手技のニューウェーブ 会陰裂傷縫合」(p.104)には以下のように書かれています。

これまで会陰裂傷縫合ができない助産師にとって、分娩介助技術の習得は「会陰保護法」の習得にほかなりませんでした。しかしここ数年の産科医不足により、会陰裂傷縫合を産科医にすべて頼ることが困難になってしまいました。そこで、すでに法的存在としてあった「臨時応急の手当て」が現実のものとして動き出し、助産師が膣・会陰裂傷縫合を行うことに、医療現場では正当性が与えられるようになってきたのです。

2008(平成20)年に厚生労働省が出した助産師教育の卒業時の到達度には、会陰縫合が学内実習で実施できるという項目が挙げられました。これはわが国の助産師教育を大きく変換させる画期的なものでした

たてまえは「産科医不足」ですが、幻の助産師法案がよみがえってきた時代といえるでしょう。

これにより「会陰裂傷をつくったらどうしよう」とおびえることなく、フリースタイル分娩に対応したお産の進行に努めていただきたいと思います。

変なことを書く助産師がこの世の中にはいるのだなぁとため息がでた一文でした。(ちょっと黒)


会陰切開であれ裂傷であれ、その産後の傷の痛みへのケアを標準化することが助産師の業務の本分だと私は思うのですが。





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