オーストラリアの自宅分娩での母体死亡、続報

こちらの記事で紹介した自宅分娩推進活動をしていたCaroline Lovellさんが第二子を自宅分娩で出産した直後に亡くなったことについて、畝山智香子先生のブログに裁判の続報がありました。(「その他」の一番下の記事です)

助産師は悲劇の自宅出産ママCaroline Lovellが出血歴があることを知らなかったと主張」

リンク先の報道を読むと、Carolineさんは第一子妊娠時に子宮筋腫を合併していたこと、胎盤遺残で2度、子宮内に残ってしまった胎盤の除去術を受けていること、出産後に出血が多かったこと、妊娠中の貧血の値が基準値以下であったということが書かれています。


出産から亡くなるまでの様子も少し書かれています。
経過は以下のようです。

午前8:52  女児娩出
午前10:15 「死ぬかもしれないから病院へ連れて行って欲しい」と本人の訴えがあり、その5分後には顔面蒼白、意識消失した。
救急車を依頼、その間、二人の助産師が蘇生術を行った。
病院へ搬送されたが、翌日死亡。

介助した助産師は「分娩時の出血は400mlぐらいで正常範囲内だった」と証言しているが、水中分娩用のプール内の出血をどれだけ正確に測定できるかと言う点で検視官が疑問を持っているようです。


助産師側の証言への疑問>


この報道だけでは詳しい状況も、あるいは死亡原因が出血なのか、出血であるとすればその出血が弛緩出血によるものなか他の原因なのかもよくわからないのですが、いくつかの点で助産師側の証言が同業者の私から見ると「苦しい言い訳」のように見えてしまうのです。


その中でもこの点がやはり一番問題ではないかと思います。

Mrs.Lovellは、最初の出産が医療的なものであったので今回は優しくより自然な出産になることを望んでいたので、超音波検査も血液検査も望みませんでした。

ただ、どの時点かで血液検査はしていて、それが基準値以下だったのでこの助産師たちは食事とサプリメントで対応しようとしたことが書かれています。


たしかに経産婦さんたちは記憶があいまいだったり、異常な出血であったことや処置についても忘れてしまうのか、前回のお産について正確な情報を得ることが難しいことがあります。


私の勤務先でも、前回のお産について確認する機会が妊娠初期から何度かあるのですが、それでも陣痛が始っていざお産という時になって「前回は出血が1000ぐらいあったらしいです」と初めて言われてこちらがヒヤリとすることがあります。


ただ、もし前回、胎盤遺残があって出血が多かったり処置がされていた経過が早い時期にわかっていれば医師に報告して、その後の妊婦健診でも胎盤所見を慎重にみていくように、また分娩時にも十分に注意して介助していくようにそのリスクが全てのスタッフに伝わるようにするのではないかと思います。
自宅分娩や助産所での分娩を希望されても、病院での出産を勧めることでしょう。


超音波検査や血液検査のほうが、分娩時の救急処置とは比較にならないほど侵襲の少ない医療行為ですから、妊娠中から防げるものは防ぎたいと考えます。


また、たとえ前回のお産が「問題なかった」と言われても、弛緩出血は誰にも起こりうるものですから、その点だけでも私個人は医師のいないところで分娩介助はしません。


まして「一人目は医療介入が多いお産で・・・」と自宅分娩などを希望される方には、それが二人目の出産時にさらにリスクが高くなる異常だったのかそうではないのか見極めるためにも、できるだけ詳しい前回の経過を聞かないと気がすみません。



<この裁判の争点はなにか>



さて、この記事の中に以下のように書かれています。
(和訳がうまくない点はご容赦くださいませ)

水中分娩用のプールにいる時間が長すぎたのではないか、また産婦の分娩歴によって違った出産方法で対応し、脈拍も遅れることなくチェックされていれば違っていたのではないかという二つの疑問が出てくる。

これは記者個人の考えなのかよくわからないのですが、これらは問題の本質ではないと私は思います。


被告の助産師は以下のように述べているようです。

Mrs.Lovellの自宅出産は、地域病院からの依頼ではないので病院のバックアップ体制はなかったと、Mrs.Demanuelは言った。


しかし彼女は、Mrs.Lovellは自宅分娩についてよく知っていたし、とても分別があったから、今回の状況は自宅分娩が問題ではないとしている。

出血で意識が薄れていく中で、Mrs.Lovellは何を思ったのでしょう。
おそらく、初産の時の医療処置への恐怖と不快な記憶から間違った選択をしたことへの後悔だったのではないかと思えるのです。


いえ、それだけ強く思い込んだ方は意識が薄れてもそれを認めないかもしれません。



残された二人の娘さんの世話をしている実母の言葉。

娘の死は防げたはずだから、その死を無駄にしないで欲しい。


今の周産期医療で最も効果のある再発防止策は、医師がいつでも異常に対応できるところで出産する、それしかないと思います。


妊婦さんの望み(時に強い思い込み)に対して、その感情に巻き込まれずに安全な方法を説明する。
それがこの助産師たちに足りなかったことでしょう。


相手の信念と自分たちの信念が一致してしまったが故の不幸だったといえると思います。


ただ本当に一致しているかというと、「医療介入を少なく」(産婦さん)と「医師のいないところで分娩介助」(助産師)と、実はそれぞれ違うものを求めていることに気づいていないのか、あえて目をつぶっているのかもしれません。