記憶についてのあれこれ 15 <海を越えてやってきた野菜>

この時期はゴーヤがたくさん出まわるので、大好きな私にはうれしい季節です。


このゴーヤを初めて食べたのは、1980年代半ば、難民キャンプのスタッフハウスで現地スタッフの人たちと共同自炊していた時でした。


もし私ひとりで暮らして料理をしていたら、あの外見と苦味で、二度と買うことはなかったかもしれません。


炒めたり、スープに入れたり、その国ならではの調理方法と味付けで、しだいに病みつきになったのでした。


日本に帰国してからもゴーヤを食べたくてしかたがなかったのですが、1980年代はまだ購入できるところはありませんでしたし、エスニック料理ブーム以前でしたから食べるにはかの国に行くしかなかったのでした。


1990年代に入って、ぼちぼちと国内でも買えるようになりました。

1990年までは沖縄本島産のものが、1993年までは八重山産のものがウリ類の大害虫ウリミバエの拡散防止のため、域外への持ち出しが禁止されていた。不妊虫放飼によるウリミバエの根絶に成功したことにより、沖縄県外へ出荷することが可能になり、沖縄県における生産量の拡大につながった。

当時、この話はニュースで聞いた記憶があります。
空港の検疫で外国からの植物などの持ち込みは厳しく規制されていますが、沖縄からの農産物にもそうした大変さがあるのかと、ゴーヤ解禁の喜びと共に驚いたのでした。


90年代にはあっというまに、沖縄や宮崎産のゴーヤが普通に夏の野菜の一員になりました。


あるいは庭の日よけに栽培する家もよく見かけるようになりました。


リンク先の「普及」には、2001年から放送されたNHKの沖縄を舞台にしたドラマがきっかけで広がったように書かれていますが、私の実感としては90年代後半にはすでに日常の野菜になったように感じています。


もうひとつ、1980年代に東南アジアで食べて病みつきになった野菜に空芯菜があります。


やはり炒め物やスープに欠かせないくせのない野菜で、夏になると無性に食べたくなったのですが、これも1990年代に入るまでは店頭でみることはありませんでした。
たまに、エスニック料理の材料を扱っているお店で見かけましたが、一束300円とか400円で日常で気軽に使える値段ではありませんでした。


90年代終わり頃には、スーパーなどでもよく見かけるようになりました。



リンク先を読むと、この空芯菜もゴーヤと同じで東南アジア原産で、古く沖縄を経て九州に伝わってきていたようです。


島々を船が行き交い、国境のない海を越えてこうした植物も伝わり、その土地で育つようになるにはどれくらいの時が必要だったのでしょうか。


どこの誰がどんな風に伝えたのだろう。
そしてそれを誰がどのように育て始めたのだろう。
知りたくてももうそういう事実は歴史の奥深くに埋もれてしまっているのでしょうね。





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