境界線のあれこれ 49  <看護と介護の「ケア」>

「介護」というのは比較的新しい言葉です。
介護も看護も、そしてもとは育児も「ケア」とひとくくりにされる言葉のようです。


以前は、ケアといえば看護職の言葉でした。
医師の治療(cure)に対して、看護のケア(care)というように。
でも十分な訳語がないままです。


その後、1980年代あるいは1990年代だったでしょうか、看護の世界では危機感をもって看護職のケアとはなにかに直面した時期があったと記憶しています。


高齢者介護の介護職が今後増えてくることによって、看護職のケアと介護職のケアの違いは何かと、まるで足元から看護職の必要性が崩されるかのような不安を持って看護職全体に受け止められていた時期です。


当時はまだまだ看護職としても駆け出しでしたから、看護の全体像も見えなくて、ただ看護ケアのプロとして介護とは境界線があるべきという、今思えばわけのわからない「矜持」(きょうじ)がありました。


その後、一気に高齢者介護の時代に入りました。


<「看護」とはなにか>


今までも「看護覚え書」(フロレンス・ナイチンゲール現代社)の中から、ナイチンゲールの言葉を引用した記事をいくつか書いてきました。


その「看護覚え書」(1860年)の「はじめに」では、以下のように書かれています。

 この覚え書は、看護の考え方の法則を述べて看護師が自分で看護を学べるようにしたものではけっしてないし、ましてや看護師に看護することを教えるための手引書でもない。

これは他人の健康について直接責任を負っている女性たちに、考え方のヒントを与えたいという、ただそれだけの目的で書かれたものである。

英国では女性の誰もが、あるいはすくなくともほとんどすべての女性が、一生のうちに何回かは、子供とか病人とか、とにかく誰かの健康上の責任を負うことになる。言い換えれば、女性は誰もが看護師なのである。

もしナイチンゲールが現代にこれを書けば、当然「女性」限定にはしなかったことでしょう。

日々の健康上の知識や看護の知識は、つまり病気にかからないような、あるいは病気から回復できるような状態にからだを整えるための知識は、もっと重視されてよい。こうした知識は誰もが身につけておくべきものであって、それは専門家のみが身につけうる医学知識とははっきり区別されるものである。

これを踏まえて、こちらの記事で、「看護は看護職のものだけではない」と書きました。



高齢化社会と介護>


さて、この「看護覚え書」が書かれた19世紀半ばのイギリスの平均寿命がこちらをみると、リヴァプールの労働者はなんと平均15歳、知識層でも35歳です。
大気汚染や伝染病の少ない農村地帯でも、知識層が52歳、労働者層は38歳だったようです。


おそらく、当時はまだ「高齢者の看護」自体が珍しいかほとんどなかったのではないでしょうか。


厚生労働省「主な年齢の平均余命」の表2に「平均寿命の年次推移」があります。


1947(昭和22)年では男性50歳、女性53歳であったものが、1990(平成2)年には男性75歳、女性81歳と、わずか43年で急激な高齢化社会へと変化したことがわかります。


これを見ると高齢者の看護あるいは介護というのは、看護の世界でも体験量が少ない分野だったのだとあらためて思います。


1980年代に看護と介護の境界線に翻弄されたのも、わかるような気がしてきました。


そしてどのように年をとりどのような老人になっていくのか、高齢者のモデルも少なく手探りの時代だったのかもしれません、今もなお。





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