記憶についてのあれこれ 23 <初めてお酒を飲んだのはいつか>

こちらではお酒ではないアルコールについて書きましたが、今回は飲むアルコールについてです。


ココナッツからとれる酒について書いていた時に蘇ってきた記憶があるのです。
それは、椰子酒を子どもたちも飲ませていたことでした。


泊まらせてもらった家だけでなくその村ではごく普通に飲ませているということを聞き、それはまずいのではないかと思いつつ何も言えないままでした。
椰子酒のアルコール濃度がはっきり書かれていたのは、コトバンクの「4%」ぐらいしかみあたらないのですが、私が飲んだものはおそらく1〜2%ぐらいに感じました。
それでもお酒です。


なぜ子どもたちにまで椰子酒を飲ませるのかについて、現地の友人は「農村部の家は夜は寒いので、温まるために飲ませるらしい」と言っていました。


たしかに竹を編んでできた家のつくりは昼間は風通しがよくて涼しいのですが、気温が下がると肌寒くなります。
私は半袖でも全然平気でしたが、現地の人は寒く感じるらしく布を体に巻きつけたり長袖を着込んだりしていました。


それ以上は詳細を聞けないままでしたが、よく考えると私もよその国の文化をあれこれ言えるほどではなく、けっこう子どもの頃からお酒を口にしていたと思います。
日本も大人だけでなく子どもの飲酒に「寛容」というか無頓着なのかもしれません。


<いつ頃から飲んだのか>


おそらく親に「いつから私に酒を飲ませたのか」を尋ねても記憶にないだろうと思います。


幼稚園の頃に祖父が飲んでいたビールを飲もうとして叱られた記憶はあります。
「子どもが飲むものではない」と。


でも記憶としてはすでに小学校低学年のお正月には、お屠蘇を飲んでいました。みりんを加えてあっても日本酒ですから、アルコール濃度はかなり高いものです。

「おかわり」というと、「しかたがないわね。もう1杯だけ」とくれました(笑)。
大人でもお酒に弱い人は奈良漬けでも酔っぱらうらしいので、小学生におちょこ一杯のお屠蘇は「お正月だから特別」で良かったのか・・・。
あ、いえ、止めたほうがいいとも言いたくない気持ちがありますが。


小学生時代にお酒を口にした記憶がつぎつぎと出てきます。
それも親に隠れてではなく、親と一緒にという状況です。


私が小学校3〜4年生の頃に、なぜだか母がチョコレートに夢中になった時期があって、毎週山のようにいろいろな種類のチョコレートを買っていました。
今考えると何か母は精神的にストレスを抱えてそんな行動になったのではないかと思うのですが、以前、「私が小学生の頃、よくチョコレートを食べたよね」と聞いても「そうだったかしら?」とかわされてしまいました。


そのチョコレートの中に洋酒入りのチョコレートもありました。
「子どもはダメ」とも言われずに、食べていた記憶があります。ほわんとよい気持ちになって。
「市販のアルコール3.2%の洋酒入りチョコレートは高一の墨は食べていいのでしょうか」にあるような、絶対に1%以上のアルコールが含まれている洋酒だったと思います。


あと、その頃から日本で輸入が始まったグレープフルーツを、半分に切って砂糖とブランデーをかけて食べる方法を母は家で取り入れました。子どもにも同じように食べさせていました。


それにしても「食べてよいのか」と高校生が質問するぐらいなので、未成年者にお酒が飲む機会をなくす風潮が日本社会にも浸透してきたのかもしれませんね。


小中学生の頃までは親と一緒にお酒を味わっていましたが、高校生になるとちょっと隠れて赤玉ワインとかブランデーを失敬して紅茶に入れて飲んだりしていました。
きっと親は気づいていたとは思いますが。


未成年者飲酒禁止法


高校を卒業すると、「晴れてお酒が飲める」と開放感を感じました。
ほんとうはあと2年ダメなはずなのですが、当時はあまり未成年者飲酒禁止法なんて耳にしませんでした。

満20歳未満の者の飲酒を禁止する。また親権者やその他の監督者、酒類を販売・供与した営業者に罰則を科す。

1922(大正11)年にはすでに制定されていた法律だったのですね。


この法律が本格的に世の中に認識されるようになったのは、一気飲みの危険性が問題になったからかもしれません。


<誰もが飲む、大量に飲む時代>


「アルコールハラスメント」を読むと、私たち50代前後の世代がこの一気飲みの始まる時代だったとあらためて思います。


「イッキ」はした記憶はないのですが、女性が外でお酒を飲むことが当たり前になりつつありました。
それでも居酒屋はまだ男性の場所という感じで、私と友人たちはけっこう焼き鳥屋とか炉端焼きに出入りしていましたが、私たちより上の世代ではためらう人も多かったのではないかと思います。


「女性は少したしなむ程度」だった時代から、「ボトルをあける」時代でした。


こうして記憶をたぐりよせていくと、もしかしたら母たちの世代(昭和初期生まれ)は女性がお酒を飲みたくても飲めず、ようやく1970年代頃から洋酒チョコレートやグレープフルーツにかけることで味わえる時代になったのかもしれないと思えて来ました。
子どもにもお相伴させることで、社会の中で作られて来た女性がお酒を飲むことへの罪悪感のようなものが少し打ち消されたのかもしれません。


<モンゴルの馬乳酒>


椎名誠氏の本の中に、モンゴルの遊牧民は馬乳酒を子どもたちにも飲ませていることが書かれていたと記憶しています。あの椰子酒を飲む子どもたちのことがすぐに思い浮かびました。


直接リンクできないのですが馬乳酒で検索すると「内陸アジアの遊牧民の製造する乳酒に関する微生物学的研究」(石井智美氏)が公開されていて、その中にも子どもたちに飲ませていることが書かれています。
馬乳酒はアルコール度1.5〜2%でビタミンCが豊富のようです。

馬乳酒は野菜の摂取が少ない遊牧民にとって、夏季の貴重なビタミンC補給源なのである。
馬乳酒の飲用は結核、高血圧等、様々な病気に効果があるとされるほか、冬季の間の肉中心で疲れた消化管を癒す働きがあるといわれる。
「馬乳酒の飲用はお腹を白くする」と表現され、幼児、子どもにも積極的に飲ませている。

「○○に効果がある」と聞くとすぐに飛びつきやすい日本の社会ですが、モンゴルの子どもたちにしても野菜が少ない地域や文化によって生み出されて来た智慧であって、ビタミンCが他の食品で採れるようになればあえてアルコールから摂取しなくてすみますし、冒頭の「寒さをしのぐために椰子酒を飲ませる文化」も寒さが解決できればあえて子どもにアルコールを飲ませる必要はなくなるわけです。


子どもに酒を味あわせるのはいつ頃から、どの程度なら許されるかについてはなんとも言えないのですが、飲ませるなら「体調を壊さない、人間関係を壊さない」飲み方も一緒に教えてく必要がありますね。


あ、そして「社会に迷惑をかけない」も。






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