「お話しいただけませんか。友情について」

「あなたは弓です」でカリール・ジブラーンの「預言者」を紹介しました。


そういえば「友情」とか「友人」についてなんて書いてあったのか、あまり関心がなかったので読み飛ばしていました。


そっくりそのまま引用します。

そこでひとりの青年が言った。お話いただけませんか。友情について。
アルムスタファは答えて言った。
君の友人は君の需(もと)めへの応え。かれは畑。君はそこに愛をもって種をまき、感謝をもって刈り取る。
かれはまた君の食卓。君の暖炉。
君は飢えて彼のもとに行き、平和を求めてかれを探すのです。


友がその考えを語るとき、恐れるな。君自身の心の中の「否」を。そしてまたおさえるな、「然り」を。
また、友が黙するとき、君の心は止めてはいけない。彼の心に耳を傾けることを。
なぜなら友情にあっては、言葉なしに、すべての思い、すべての望み、すべての期待が生まれて、分かち合われるのです。それも喝采を必要のない喜びのうちに。
君が友から離れるとき、欺いてはならない。
なぜなら、君がかれのなかで一番愛しているものは、かれのいないときこそ明らかになるのだから。山は、それを目指す者には、平野からこそ明らかに見えるもの。
そして友情には、精神を深めることの他にはどんな目的もあらしめるな。
なぜなら自らの神秘を顕(あらわ)にする以外のことを求める愛は、愛ではなくて投げ込まれる網にすぎない。役立たずのものばかりがその網にかかります。


そして君の最良のものが友のためであるように。
もし彼が君の引き瀬を知らねばならぬなら、君の満ち潮も知らせてやるように。
なぜなら、時間をつぶすための友を求めるなら、いったい友とはなんだろうか。
時間を生かすための友をこそ常に求めなさい。
なぜなら、友とは君の需めを満たすもの、君の空虚を満たすものではない。
そして友情の甘美さのうちに笑いがあるように。そしてまた楽しみの分かち合いがあるように。
なぜなら、ちいさな事柄の一滴(ひとしずく)のうちにも、心は自分の朝をみつけてさわやかになるのだから。

んー、人生は奥が深いですね。