小さな思い込み

最近、また目がショボショボするようになりました。


「あーあ。とうとうリーディンググラスの度をあげないとダメか」と思い始めていました。


いやいや、そういえば最近テレビをよく観るしパソコンに向かっている時間も増えたから、老眼が進んだわけではなくて目の使いすぎを止めればまだ大丈夫かもしれない、と言い訳してみたり。


少しずつ進む老化を受け入れるのは、葛藤と不安がそこそこ伴うものです。


まあ、ブルーベリーなんちゃらといったサプリメントを買わないだけ、私も学習したと思います。


ある日、重大な発見をしました。
天井の蛍光灯4本のうち3本が切れていたのでした。
なぜそんなになるまで気づかなかったか自分でもよくわからないのですが、白いカバーであまり中がよく見えない構造になっているからではないかと思います。


4本を新品に交換してみました。
「世の中、こんなに明るかったのか」と思うほど部屋の中が明るくなり、物がよく見えるようになったのでした。


老眼が進んだという思い込みだったのだと、ちょっとほっとしました。



視力という意味だけでなく、思い込みで周りが見えなくなることは誰にでもよくありますよね。
「ここにあるはず」と探しても見つからなかったものが、別の場所からひょいっと出て来たり。


医療現場でも90年代から「ダブルチェック」という言葉が浸透しました。
たとえば注射薬を準備する時に、他のスタッフと二人で確認するのです。
「○○という薬を準備したつもりが、××だった」などの思い込みによる事故を未然に防ぐためです。


他の人の目でみると違うものが見えて、自分は思い込みで行動していた事に気づく。


最初は多少抵抗がありました。経験年数が上がればあがるほど「自分は間違った仕事はしていない。確実に仕事をしている」というプライドも強くなります。
それを他人にチェックされて訂正するのは、心理的に抵抗が出るのは当然だと思います。


そして思い込みが強いときほど、それが思い込みだったとわかった時は反動で強く否定したくなることも人間の仕様かもしれません。
「いや自分は確かに確認した」「いや自分はちゃんとみていた」などなど。


でも「人間はミスをおかすもの」というリスクマネージメントの言葉に出会って、なんだか肩の荷をおろしていいと言ってもらえたような安堵感を感じたのでした。


「思い込んでいないかな」と客観視する姿勢は、人生でとても役にたつのではないかと思います。