久しぶりの「新生児のあれこれ」です。
このシリーズはここから始まりました。
毎日、新生児に接して二十数年。
延べ人数にしたら、何万人いや何十万人の新生児になるのでしょうか。
まあ、自分が新生児のことをわかっているつもりで思い込んでいれば、数を数えても意味がないのですけれどね。
でもいつの間にか、新生児の啼泣(ていきゅう)のパターンがデーターとして自分の中に蓄積されたようです。
生後数日ぐらいまでの新生児であれば、その啼き声のトーンなどで何を伝えようとしているか見当がつくようになりました。
それは、「育児は母乳から始まる」かのような思い込みから、私自身が解放されて初めて見えてきたものかもしれません。
そして新生児は「泣く」というよりも「啼く」と書いた方がふさわしいかのように、感情を伝えようとしているよりもむしろ何かの変化を伝えようとする手段なのだと、新生児と自分の気持ちの部分を一旦切り離した視点から観察できるようになったともいえるかもしれません。
<啼き声を客観的に表現しにくい>
生後数日ぐらいまでの新生児の啼き方は、おおまかに3段階ぐらいのトーンがあると私には感じられます。
絶叫に近い啼き方は「危険度マックス」、やや激しい啼き方は「危険だよ!」、そして「ちゃんと見守ってくれているかな」という注意喚起の啼き方の3種類です。
(個人的体験談に基づく根拠の薄い話ですから信じ込まないように)
生後日数によってもまた変化していく印象です。
出生当日の新生児は絶叫系の啼き声が多いのですが翌日ぐらいには一旦少なくなり、こちらに書いたように母乳便に変化する日あたりにはまた絶叫系の啼き声が増えます。
また個人差もあり、最初からほとんど絶叫するような啼き方のない新生児もいれば、「いやはや、退院後にお母さんがノイローゼにならなければいいけれど」と心配になるほどエネルギッシュな啼き方の新生児もいます。
この新生児や乳児の啼き声のトーンについての研究がされているのをたまにニュースでみかけるのですが、まだまだわかっていない分野なのかもしれません。
たとえ客観的な指標でこの啼き方のパターンが表現できたとしても、「啼き声をどう感じるか」という受け手の感覚や経験値にも大きく左右されるところも難しくさせているのではないかと思います。
生後2〜3日までの絶叫系の啼き声を聞いただけで、ほとんどの初産婦さんが冷や汗や脂汗をかいて対応しています。
その啼き声に1分と耐えられないという感じです。
ところが経産婦さんたちは「あらー、啼いているわ」ぐらいで平気です。「上の子の啼き方に比べればかわいいもの」とおっしゃる方がほとんどです。
また、経産婦さんたちの体の中にも一人目のデーターが入っているので激しく泣く前に対応していたり、新生児にアンテナが無意識のうちに向いているのか、新生児もあまり啼かないことが多い印象です。
においが主観に左右されやすいのと同じように、啼き声の感じ方もまた客観的に表現しにくいのは受け手の主観に大きく左右されるからといえるのかもしれません。
「あわわわー」と口を震わせて啼いている新生児を抱っこするたびに、「あなたは何を伝えたいのでしょうね」と思う毎日です。
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