接遇のあれこれ 2 <高度な専門技術に会話のスキルも求められる>

ナニコレ珍百景」という番組で、たまに歯科医院のナニコレがあります。
診療中に歌ったり踊ったり、あ、踊ったりはなかったでしたっけ。
でも治療中の患者さんの苦痛を軽減するための演出を売りにしているところがあるようで、最近の医療はほんと何でもありだとちょっと驚きます。


まあ診療中に歌ったり、演奏したりする歯科医をどう受け止めるかも好きずきですから、「何かしてもらえた」という満足感が治療効果になる人もいるのかもしれません。


私のかかりつけの歯科医はもの静かな印象ですが、治療内容について質問すると、治療途中でも手を止めて模型とホワイトボードを使いながら説明してくださいます。
まるで講義を聴いているかのようです。
人によっては、そういう説明はいらないと思うかもしれませんが、私には合っています。


もちろん治療中はこちらも口を開けっ放しですし、先生も治療に集中していますから会話はありません。


いずれにしても歯科というのは医療の中で一番、医師が治療行為に集中できる診療科かもしれません。
治療中は目の前の患者さんはしゃべれないですから、専念できますね。


患部を観察しながら、診断し、適切な治療方法を考えて実施する。


この一連の行動は、高度の専門的な知識と技術を必要とするものであるので、集中した作業環境が必要なものではないかと思います。


<「話を聞いて欲しい」への会話スキルも求められる>



「自然なお産」の流れの中では必ずと言ってよいほど病院批判があり、病院では「話を聞いてくれない」、それに対して助産所では・・・といったものがありました。


たとえばこちらの記事で紹介した、「出産環境の民俗学」(安井眞奈美氏著、昭和堂、2013年)の「はじめに」にも出生前診断の話から以下のような箇所があります。

つまり、医療に関しても、大きな病院で最先端の生殖医療技術に取り囲まれた出産が、果たしてほんとうに「安全」なのかどうかを再検討する必要牡があるだろう。たとえば充分な説明なしに新型出生前診断を受け、陽性の結果にパニックに陥った女性は、その後、満足のゆく「安全」な出産を迎えることができるのだろうか。始まったばかりの遺伝カウンセリングは、担当者によって対応が異なることもある。

このような現状では、女性たちが妊娠から出産、産後について不安を抱くようになるのも当然であろう。それゆえ、出産に向けての不安や疑問に耳を傾け、的確なアドバイスをしてくれる誰かに話を聞いてほしいと願う女性も増えている。そう考えて、開業助産所での出産を望む女性が少なくない。

出生前診断のカウンセリングと、通常の妊娠・出産の不安への対応というレイヤーの違う話が一緒にして語られているのですが、筆者は続けて助産所について以下のように書いています。

開業助産所での出産は、現在では全体の出産の1%に満たないが、出産の総数が減少する中にあって、1%前後の割合を保ち続けてきた。助産所で出産することのメリットは、納得いくまで助産師と話をし、しっかりとした信頼関係を結んでから出産に望むことができる点にある。

こうした病院批判、助産所賛美の話を読むたびにもやもやしていた正体は、まずつい「病院側も忙しかったり、医師を含めたスタッフの対応にもたしかに足りない点はある」と心の中のうずきが先に自己批判として反応してしまうことにあるのかもしれません。


でももしかしたら、医療の受け手側にも医療従事者が黙々と仕事をしている時には高度な専門知識と技術を総動員している状況であることへの想像力ももう少しもとめられるのではないかと、最近は思うようになりました。


でもその高度な専門知識と技術の結果よりも、プラスαの会話のスキルの方が評価されるあたりに、どうしても行き違いがでてくるのかもしれません。


「納得」はあくまでも気持ちの問題ですから。




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