記憶についてのあれこれ 35 <予防接種とCDC>

看護学生の頃、なかなか覚えられない疾患が小児感染症でした。
特に予防接種が必要な疾患になると、潜伏期や症状そして感染力がなくなる期間など、何度教科書を読んでもすぐに忘れてしまうので、実は小児科は苦手でした。


大きな声では言えないのですが、今も小児感染症の知識は危ういと思います(すみません)。


他の疾患はきちんと覚えられるのに、なぜ苦手だったか。
それは、やはり日本もそれなりに予防接種が行われていて、実際の患児を見る機会がほとんどないからかもしれないというのは屁理屈でしょうか。


そんな小児感染症が苦手だった私が、1980年代半ばに難民キャンプで働いた時に予防接種プログラムの担当になりました。


勤務していた国際移住委員会が関わる難民キャンプでは、CDC(アメリカ感染予防管理センター)の予防接種や性病、結核ハンセン病コントロールのプログラムが使われていました。


<予防接種プログラム>


私の仕事のひとつが経口ポリオワクチン、DPT(ジフテリア、百日咳、破傷風)ワクチンとMMRおたふく風邪、はしか、風疹)の接種でした。


直接、その難民キャンプ周辺に漂着した子どもたちには接種者リストを新たに作成し、他の難民キャンプですでに一部の予防接種を受けた子どもたちにはそれまでの記録から追加接種の時期を決めて接種する仕事です。


CDCが決めた回数の予防接種が終了しない限り、アメリカに限らずどの国への第三国定住も認められませんでした。


私には専用の部屋とワクチンを管理する冷蔵庫が与えられ、毎日ボランティアの通訳の人たちがリストの子どもたちを召集してくれていました。
入り口には「Immunization(予防接種)」とベトナム語の注射の意味である「チックグウ」という看板がありました。
「チックグウ」なんだか注射をされるときの様子がわかるような言葉だと記憶に残りました。


CDCのプログラムでは日本の予防接種より早い時期から行われていて、ポリオとDPTは生後1ヶ月から、MMRは生後3〜4ヶ月から行われていたと記憶しています。
MMRはかなり時期が早いのですが、第三国定住へ入国させるスケジュールから必要だったのかもしれません。
対象の多くが新生児と乳児でしたが、細い手足に注射をして泣かれるのはせつないものです。


そして時にはブースタードースを必要とする2〜3歳の子どもが連れてこられることがありました。
「チックグウ」と聞いただけで、ボランティアの手を払いのけて逃げ出します。キャンプ内を捜索して引きずられるようにして連れてこられる子どもに、無慈悲にも注射をするのも私の役目でした。


「チックグウの部屋」として怖れられ、遊びにくる子は少なかったですね。
でも、その注射をしないとその子と家族はずっと難民キャンプから出国できないのでした。


<CDCとは>


最近では感染症の話題がでるたびに耳にするCDCですが、日本でよく聞かれるようになったのはCDCの標準的感染予防策が浸透し始めた1990年代でしょうか。


私は難民キャンプで初めてCDCを知りました。

1946年、アメリカ国内・国外を問わず、人々の健康を安全の保証を主導する立場にある連邦機関。健康に関する信頼できる情報の提供と、健康の増進が主目的である。結核など脅威となる疾病には国内外を問わず駆けつけ、調査・対策を講じる上で主導的な役割を果たしている。

アメリカ以外の国への入国にも、それぞれの国の予防接種プログラムではなくCDCのプログラムが採用されれていたのですが、「国内・国外を問わず」「主導的」であることに驚いたのでした。


そしてその目的を達成するためには、資金を惜しまない事にも驚きました。
1980年代半ばごろの日本の病院では、ようやく注射器や注射針の使い捨て(デイスポ)製品に切り替わろうとしていた時期で、まだまだ再滅菌して使用する事は普通に行われていました。


難民キャンプにはアメリカ本国からデイスポ製品と、最新の薬剤が途切れる事なく供給されてきました。
第二次世界大戦中に、日本兵アメリカの物資の豊かさを見て「勝つ訳がない」と悟った気持ちはこんな感じだったのかと思いました。


もちろん難民の人たちの健康増進も目的ですが、自国に疾病を持ち込まないことにこれだけの力を入れるアメリカの力に、20代の私は大いに驚いたのでした。


それから数年後に、USAID(アメリカ合衆国国際開発庁)の文書の中に、「援助は国益のための戦略である」という言葉を見た時に、CDCの「国内外を問わない」行動力もまた国益のためであるということが理解できました。


そしてシッコに描かれているように、国民健康保険がない国ゆえの予防医療の重要性でもあるのかもしれません。


それにしても、医療従事者が小児の感染症をあまり経験しなくてすむというのは、実は恵まれていることだとつくづく思うこのごろです。
時々、教科書を読み直さなければいけませんが。





「記憶についてのあれこれ」まとめはこちら