行間を読む 29 <犯罪者のように扱われたのか>

西アフリカの医療救援から帰国したアメリカの看護師が、帰国後に隔離されたことを批判するニュースを読みました。
AFPニュースの「西アフリカから帰国の米看護師隔離で「犯罪者扱い」と当局批判」(2014年10月26日)という記事です。


この看護師は「国境なき医師団」に参加してシェラレオネで活動したあと帰国、現在はエボラウイルスの潜伏期間とされる21日が経過するまで、病院で隔離されているということです。


「他の人に私と同じ経験をして欲しくない。私に続いて帰国してくる人たちのことが心配だ」と述べた。「西アフリカでエボラ出血と闘ってきたと申告した医療従事者たちが空港でどのような扱いを受けるか心配している。彼らも私たちと同じように無秩序による混乱や(他者)恐怖心、隔離を経験するのではないかと心配している。

彼女が「犯罪者のように扱われた」とされた状況の一部が書かれています。

「国際空港に到着したヒッコックさんは検疫所に案内され、入国管理間とみられる白い防護服に全身を包んだ男性からまるで犯罪者を相手にしているように大声で質問を投げかけられ、その場に3時間もとどめられた。

その後、病院につれていかれた際には合わせて少なくとも8台の警察車両がサイレンを鳴り響かせ、ランプを点滅させながら車列をつくった。こうした中でヒッコックさんは、一体自分が何の悪事を働いたのだろうと悩ませ、これから帰国してくる多くの同僚たちが、自分と同じ目に遭うのだろうかと不安に思ったという。

感染症コントロールの知識が少ない人たちであれば、いきなり空港での上記のような対応を受ければ「まるでなにか悪い事でもしたのだろうか」と不安に思う事でしょう。


でも感染標準予防対策からみれば当然の対応であり、それを作り出したCDCがあるアメリカの医学教育を受けた看護師からなぜこのような発言が出たのだろうと腑に落ちない記事でした。


<情報が伝わっていなかったのだろうか>


西アフリカから帰国しエボラ熱を発症した患者をケアしていた看護師に、アメリカ国内で二次感染が起きた事は日本でも報道されました。
その看護師の自宅付近が封鎖され、個人防護服を来た人たちによって消毒されていた映像もありました。


予防のためのワクチンもなく発症すれば治療法もない感染症、しかも高い致死率ですから社会に与える動揺やリスクは計り知れないものがあります。
しかもCDCでは、天然痘炭疽菌と同じくバイオテロ生物兵器に分類しているウイルスが、アメリカ国内でも二次感染によって広がったことで、その対応が厳しくなることは医療従事者であれば当然予想することではないかと思います。


対応策のない感染症の広がりに対しては、できるだけ感染地で封じ込めることが第一です。
そして患者に接触する人を少なくし、接触した可能性のある人を追跡調査してアウトブレークを防ぐ事は重要です。


アメリカで二次感染が起こったことを知らなかったのでしょうか?


「西アフリカでエボラと闘ってきた」のであれば、なおさら厳しい隔離の可能性があることは自身が最も理解できるはずだと思うのですが、なぜこのような反応になるのか。
なにか理由がいろいろあるのかもしれません。


<医療経済的な問題?>


個人防護服を私自身は着たことはありませんが、この装備が必要なのはその患者あるいは感染症の疑いのある人とできるだけ接触を避け、「距離」をとる必要がある状況ですから、当然「離れたところから大声で」会話をすることもあることぐらいは医療従事者として想像できます。


あるいは、バイオテロのウイルスとして分類され、国内で二次感染まで起きている感染症の疑いがある人であれば厳重な警備も当然だと、もし私が彼女の立場であれば受け止めると思います。


そして潜伏期間が過ぎるまでは病院内に隔離されても仕方がないだろう、と。
いえ、その前に、その国での感染が収束し、自分自身が感染源にならないとわかるまでは帰国しないで待機することでしょう。
それがこうした感染症と「途上国」で闘うという意味ではないかと考えるからです。
たとえボランティア活動であっても。
いえ、ボランティアだからこその責任で。


この記事を読んで、アメリカの医療費が関与している可能性がはどうなのだろうと気になりました。


「潜伏期間とされている21日間を病院で隔離」
この医療費の支払いは、どこの誰が支払うのでしょうか。
国費負担、それとも個人の医療保険でしょうか。保険会社がこの支払いを拒否する事もあるのでしょうか。
あるいは「国境なき医師団」が、こうした帰国後のスタッフのアクシデントの保証もしてくれるのでしょうか。


<精神的な対応についてのギャップ>


致死率の高いエボラに感染した可能性を疑われて隔離が必要と聞けば、多くの人はそうとうパニックに陥ることでしょう。
いつ発症するのか、発症したら自分は死ぬのか生きるのかの瀬戸際に立たされるのですから。


そういう状況で上記のような対応をされることは、たとえ医学的には必要と理解できても精神的にはきついものがあるのではないかと思います。
病んでいる時にこそ、温かい人の手で直接ケアをされることがどれだけ慰められる事でしょう。


ところが、こうした感染症の場合には「直接手を触れる」「直接会話をする」ことも感染の機会になりますから制限されます。


また潜伏期間でも発症してからも「自分は生きるのか、死ぬのか」という葛藤に、医療側も突き詰められるような精神的なケアが求められます。


空港に降り立った彼女は、それまで医療側だった精神状態が一気に患者側になり、混乱しているのかもしれません。
それでも医療従事者としては、「自分のような混乱に陥らないようにあらかじめ帰国前のスタッフに情報を伝える」あるいは「帰国予定を延期する」ことがこの場合の解決策として思い浮かぶことではないかと思います。


ところが、「西アフリカでエボラと闘ってきたと申告した医療従事者たちが空港でどのような扱いを受けるか心配している」という表現からは、もしかしたら、「讃えられるべき自分たちが思いもよらない扱いを受けた」ことに対するギャップの混乱もあるのかもしれません。



ちょっぴり小声ですが、「ああ、ここにも善意と正義感の混乱があるのかもしれない」と感じたニュースでした。
あ、もちろんすべての医療ボランティア活動に対してではなく、このニュースから感じただけですけれど。






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