境界線のあれこれ 54 <潜伏期から発症のグレーゾーン>

こちらの記事で書いた西アフリカでのエボラ出血熱の医療救援から帰国した看護師への対応について、その後もなんだか本質ではない話が多くてもやもやしています。


国境なき医師団など感染地域で活動したスタッフは、現地で21日間留まり、発症のおそれがないことを確認して帰国の途につく」という極めて簡単な方法が遵守されれば問題ないことではないかと思うのですが。


国境なき医師団の日本支部のHPを見ると、「エボラ出血熱の流行地域から帰還したスタッフのためのプロトコール」があって、「エボラ出血熱の流行地域で活動したスタッフが帰国した際に健康状態を観察するための行動指針を設け、厳格に運用しています」とあります。
具体的には、「帰国後に、1日2回体温を測り報告する」「エボラに対応できる隔離施設のある指定病院を4時間以内に受診できる場所」などが決められているようです。


おそらくこれらの行動指針を指して、当該看護師も「科学的根拠のない強制隔離は不要」と主張したのだと思います。


でも、なぜ「帰国後」なのでしょうか?
なぜ潜伏期間にあえて飛行機を利用して国境を越えてまで、急いで帰国しなければいけないのでしょうか?
「帰還したスタッフのための帰国後のプロトコール」はあっても、帰国までのプロトコールが見当たらないのはなぜでしょうか?


おそらく潜伏期間中に医療体制の整った自国に返すことで、万が一発症しても早期に治療を開始することができ、救命される可能性が高いことがあるのではないかと思います。
現地で発症したら、充分な医療は受けられないでしょうから。


<潜伏期から発症までのグレーゾーン>


上記の国境なき医師団のHPにも「適用期間は、エボラウイルスの潜伏期間である21日です」と書かれているように、21日という日数がひとつの目処で使われています。


これの根拠は何から来るのだろうと思っていたところ、国立感染症研究所から「西アフリカ諸国におけるエボラ出血熱の流行に関するリスクアセスメント(2014年10月30日)がわかりやすくまとめてありました。


その<疫学的所見>では以下のように書かれています。

曝露機会の特定できる患者情報に基づいて算出された潜伏期の中央値は11.4日であり、国による差はなかった。概ね95%の患者は曝露後21日以内に発症した。

感染地域で患者に直接接して来た医療スタッフは、曝露機会が特定しやすいことになります。


その潜伏期を見ると日数の幅が広いこと、21日以降でも発症の可能性があることがわかります。


そして何をもって「発症」としたかは、以下のように書かれています。

発症から患者が探知されるまでに認められた症状は頻度の高い順に発熱(87.1%)、倦怠感(78.4%)、嘔吐(67.6%)、下痢(65.6%)、食欲不振(64.5%)、頭痛(44.3%)、他であった。

発熱が必発ではないようなので、「1日に2回の検温」ではすり抜ける可能性があります。
それ以外の症状は、途上国で過酷な状況で医療救援活動に従事していれば起こりうる日常的な症状です。


これだけ潜伏期も幅があり症状もわかりにくいのですから、「朝は平熱だったが、夕方には症状があった」場合、どこまでが潜伏期でどこからが発症と考えるのでしょうか。


帰国の途につく際、出国時には平熱だったが、空港に到着する頃には症状が出てくる可能性もあるわけです。
その医療スタッフを受け入れることが決まった病院は通常の診療もままならないほど準備におわれることでしょうし、同じ飛行機に乗り合わせた数百人のその後の追跡調査もしなければならなくなります。



潜伏期と発症は、境界線を引けないからこそ、エボラ出血熱の対応には「科学的根拠」という言葉は慎重であるべきだと思います。


<歯切れの悪さは、医療というより政治の問題>


患者に直接接する医療従事者は感染のハイリスク群ですから上記の21日間を活動国で観察し、もし発症の可能性があれば最善の医療が受けられる地域へチャーター機で搬送する。


そういうことを活動団体側に要求すればよいだけのシステムの問題が、感情的な部分を取り上げすぎてわけがわからなくなったという印象を受けます。


そして活動地で21日間観察することを、国境なき医師団に要求するのははばかられたほど、たしかにその団体の「貢献」に負っている部分があるのかもしれませんが。





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