母乳のあれこれ 31 <何のための母乳なのか>

私自身、「乳児期に何を飲んで育ったのか」なんて気にせずにいました。


初めて気にしたのは、20代後半,助産師学生の時でした。
休暇で家に帰った時に何気なく母親に「私は母乳で育ったのでしょ?」と尋ねたら、あっさり「混合よ」と言われ、当時はがっかりしたのを覚えています。


でもなぜ私はこの時にがっかりしたのだろうという点がずっと気になっていました。


卒後しばらくはその時代の風潮に押されて、「母乳だけでいけたらお母さんたちはうれしいだろう」ということに自分の関心がありました。
当時は「授乳指導」しか目に入らず、実際にお母さんと新生児が退院後にどのような生活をするのかは見えていませんでした。


ただ、あの混合で育ったことにがっかりした気持ちのひっかかりは、他の場面で生かされました。
骨盤位(さかご)の分娩になったお母さんたちです。


1990年代はまだ骨盤位は経膣分娩でのお産でしたが、それでも「逆子になった」ことでお母さんたちは「この子は何か異常ではないか」と思いやすいものです。
逆子の赤ちゃんは、生まれてからもしばらく独特な頭の形や脚の向きがありますしね。
そんな時に、「世の中の数パーセントぐらいの人は逆子で生まれているけれど、目の前の人をみて『あなた逆子だったでしょ?』なんてわからないですよね」と説明していました。


ほとんどのお母さん達がはっと我にかえったように、「そうですよね」とちょっと不安が少なくなったようです。


この「全体から見れば、大差はないのではないか」という見方を授乳方法でできるようになるまで、私にも時間が必要でした。


<吸わせれば出る・・・のか>に書いたように、すでに20年以上前に私が勤務していた病院は「ミルクを足さない」ことを「先駆的」にしていました。
ひたすらおっぱいを吸わせることに一生懸命で、お産で疲れきったお母さんの表情は目に入っていなかったのかもしれません。


そんな頃に、同じ病棟の40代くらいの看護師さんがあるお母さんに向かって、「大丈夫、ミルクだっていい子に育つから」と言っていたのを聞いて、わたしはハッと我に返ったような気持ちになったのでした。


そうですよね。「私だって混合で、こんなに立派(笑)に育ったんだから」。


あの看護師さんはあのお母さんを励ましつつ、本当はおっぱいを吸わせる事だけに必死になっている私たち助産師に聞かせたかったのだろうと思っています。
疲労と不安で追いつめられていたあのお母さんの表情を、あの看護師さんは見逃さなかったのだと思います。
そして、「何のためにそこまでするのか」と。


往々にして、本当の目的を見失ったことがまことしやかに研究されたり、良い方法だと推進されているのかもしれません。


母乳を吸わせれば赤ちゃんが賢くなるとか出世するといったことも、本当の目的を見失った末路の研究に過ぎないと、最近では思えるようになりました。


では最初の目的は何だったのか。
そしてそれはどのように見失われていったのか。

そんなことを次に考えてみようと思います。




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