自分自身の思考を形作ってきたのは、どのような言葉やきっかけがあったのだろうと思い返す作業を「記憶についてのあれこれ」や「行間を読む」などに書いているのですが、自分が「考えていた」と思っていたのはむしろ感情で取捨選択していたに過ぎなかったと思うこのごろです。
その時代の雰囲気やどこからともなく耳にした言葉をあまり深く考えることもなく、直感的に「正しい」と取り込んでいたのだと思います。
ところで、以前、kikulogのコメント欄で「耳ざわりのいい」という表現で議論があったと記憶しています。私は「耳障りが悪い」しか知らなかったので変な使い方だなと思ったのですが、「耳触りがいい」という使い方があることを知ったのでした。
耳触りがいい表現というのは、その背景にあるものが見えないままわかった気になる思考停止を起こしやすいのかもしれません。
読んでくださっている方には唐突な話かもしれませんが、「断乳」と「卒乳」という言葉からそんなことを考えています。
<「断乳」から「卒乳」へ>
私が助産師になった1980年代終わり頃に、「卒乳」という言葉を耳にするようになりました。
それまでは、「ある程度離乳食が進んだら乳離れさせるために母乳をあげるのを止める」というニュアンスの断乳という言葉しかなかったのではないかと思います。
桶谷式の本などでも、おっぱいにへのへのもへじを書いたり、乳首に辛子を塗って赤ちゃんが母乳を止めるための昔ながらの方法が紹介されていました。
おおむね1歳になることには、おっぱいを吸うのをやめさせる。
栄養面だけでなく、精神的にも乳離れをさせる。「断乳」は暗黙のうちにそういう意味を伝える言葉でした。
それに対して、断乳という一方的な止め方をさす言葉ではなく、赤ちゃんが自ら母乳を飲むのを止めるのを待つという意味の「卒乳」と呼びましょうという雰囲気が広がり始めました。
断乳よりは卒乳という言葉のほうがいいな、と私もその言葉をお母さん達に伝え始めました。
「1歳までと決めずに、赤ちゃんが自然とやめるまで待ってもいいですよ」と。
それ自体は理由が明確ではない授乳期間の規制をなくして、お母さんにも赤ちゃんにも選択肢が増えたわけなので良いことだと思います。
でも最近の2歳まで母乳を勧める動きに、私は「卒乳」という言葉をただ耳触りが良いから取り入れたに過ぎなかったのだと思うようになりました。
<「卒乳」はどのように広がったのか>
「母乳育児支援スタンダード」(NPO法人日本ラクテーション・コンサルタント協会、医学書院、2007年)に、当時「卒乳」という言葉が広がった背景が書かれています。
日本において「断乳」という選択肢以外の乳離れの方法が文献に現れてきたのは、母親同士の支援グループである母乳育児サークルから1986年に出された「おっぱいだより集」であるが、この中では子どもがおっぱいをやめるまで母乳育児を続ける「自然卒乳」という乳離れの方法が紹介されている。この背景には1958年からアメリカで始まったラ・レーチェ・リーグ・インターナショナル(以下LLLI)という世界規模の母乳育児支援団体の影響が見られる。LLLIは当初から「子ども主導の乳離れ」を提唱しており、LLLIの大会で聞き取りが行われた長期授乳の実態調査は、その長期授乳を勧めるAAPの生命にも影響を与えている。
(AAPはアメリカ小児科学会)
日本の医師の間では、1歳前後での断乳という指導方針をもつ考え方が支配的であった。しかし、山内逸郎は早くから「自然卒乳」を勧めていた数少ない医師の一人であった。1983年にその山内の呼びかけではじまった「母乳を進める産科医と小児科医の会」(後に「日本母乳の会」に改称)の元運営委員長の橋本武夫は、会の発足に先駆けて1988年より「卒乳」という言葉を提唱している。おうした背景の中で、1995年頃からは学会誌においても「卒乳」という言葉が使われるようになり、多くの育児雑誌も「卒乳」という言葉を採用するようになっていく。(p.329)
「断乳」から「卒乳」と変わっていったことで、社会の雰囲気も変化したことでしょう。
ただ、「まだ飲ませているの?」と言われることが減った分、「もっと長く飲ませる」新たなプレッシャーを母乳育児支援から感じてしまうのです。
そのあたりを次回考えてみようと思います。
「母乳育児という言葉を問い直す」まとめはこちら。